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*吉本興業
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ナインティナインは、デビューから一貫して吉本興業(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属する芸人である。1994年から放送されているナインティナインのオールナイトニッポンでは、マネージャーを筆頭に吉本関係者の話題が語られる。
**マネージャー歴任者
-泉正隆
--「吉本印天然素材」の仕掛け人。天然素材のチーフマネージャー。
--ナインティナインが売れっ子となり、天然素材の活動が出来なくなり「もう無理やな」と脱退を通告した。
--若手時代のダウンタウンのマネージャーをしていた。
--天然素材のメンバーからライターを借りても返さない。ポケットから大量のライターが出てきた。
--天然素材でのトークショーのギャラを、泉がポケットから取り出した封筒から各人1万円づつ支払ったが、全員に支払ってもまだ万札が残っていた。
--ASAYANのプロデューサーをしていた。
--岡村がASAYAN収録中に骨折した際、救急車に付き添ったが収録継続の心配をし、岡村をスタジオに戻すよう医者に言ったため、医者から怒られた。
--吉本の子会社「株式会社エス・エス・エム」で社長をしていた。
--現在、よしもとクリエイティブエージェンシー代表取締役副社長。
-堀之内
--天然素材のマネージャー。
--矢部のファンに手を出した。
-黒澤裕美
--元々はイラストレーターとして吉本興業に出入りしていたが、天然素材の人気上昇に伴ってマネージャー業を手伝っていた。
--ナインティナインが売れっ子となった一番多忙な時期に3日だけという約束で東京に同行、そのまま成行きでマネージャーを担当をしていた。
--あまりにも多忙なため、生理が止まった事がある。
--黒澤のお別れ会で岡村が泥酔し、記憶を無くす。
---岡村が全裸となり、みなにチン毛を燃やしてもらった。
--マネージャー退任後、東京・道玄坂で居酒屋を経営していた。
---2000年3月に開店。店名は岡村が命名した。
---開店準備には、ほっしゃん。をはじめ数多くの芸人が手伝った。
---芸人が集まるお店として有名だった。
---開店から丸10年となる2010年3月に惜しまれつつ閉店。
--黒澤が入籍する際の婚姻届の証人は、岡村と雨上がり決死隊・宮迫が行っている。
--現在でも岡村と親交があり、黒澤の息子と戯れる岡村の姿が黒澤のブログに掲載されている。
--現在は育児の傍らイラストレーターや執筆業をされている。
--岡村の同級生・俳優の鈴木健介氏とも親交がある。
--岡村が長期休養をした際の病気と同じ病気を患っていた事を、自身の著書で記載している。
&color(#4169E1){黒澤 元マネージャーの著書、居酒屋経営で培った簡単レシピ本}
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&color(#4169E1){黒澤 元マネージャーの著書、ナインティナインと過ごした日々を綴る}
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-河内俊昭
--ニックネームは「コーチマン(河内マン)」
--岡山県出身。
--岡村の1歳年上であり、ナインティナイン東京進出後の数年間に渡り苦楽を共にする。
--岡村は「コーチマン」と呼ぶが、矢部は「河内」と呼ぶ。
--ナインティナインの担当となる前は、ダウンタウンのマネージャーをしていた。
--倉田アクションクラブに所属していた事がある。
--実家は豆腐屋であったが、跡継ぎが居ないため潰れた。
--タクシー運転手が道に迷うとブチ切れした。
--ラジオのどじまんコンクールにカセットテープを送り、優勝した。
--年々、目が細くなっている。
--香港アクション映画が好きで、ジャッキー・チェンの大ファンである。
--映画「無問題」に出演している。
--キングオブコント・R-1ぐらんぷりのプロデュースに関与している。
-古瀬彩
--在任期間:?年?月~1998年10月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「居眠り姫」
--色白で巨乳であった。
--坪倉から好意を持たれていた。
--矢部の一物を見た事がある。
--山崎邦正の担当マネージャーをしていた。
--2003年5月に制作会社ディレクターと結婚した。
-坪倉大輔
--在任期間:1998年11月~2000年2月、2001年2月~2009年7月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「坪倉大臣」
--元ラガーマンである。
--2004年2月に結婚した。
---妻は、元「野猿 feat C.A」のC.Aこと荒井千佳。
--岡村から風呂に誘われた際、「チンコ最小だからなぁ」と発する。
--矢部の車をコスってしまい「くっそー、これが東京の縦列駐車か!」と発する。
--痔ろうを患い手術を受ける。術後の予後が悪く、チノパンに血が滲むなど苦しんでいた。
--沖縄・那覇空港にて執拗に岡村に絡み、トイレにまで付きまとうファンに対し「トイレくらいゆっくりさせたれや!」と広島弁で発する。
--岡村のフィンランドロケに同行した際、大コケし、「なんで俺がフィンランドでコケなくちゃならないんだよ!」と発する。
--2009年7月3日のANNにて、「つぼ万太郎のオールナイトニッポン」と題して出演した。
-磯塚晋治
--在任期間:2000年2月~2000年4月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「磯塚センターフライ」
--ナインティナインの担当期間が2ヶ月と短い。
--天然パーマであるが、ストレートパーマをかけていた。
--2010年4月に岡村と大阪で再会した際、ガーデニングにハマり赤唐辛子を育てていた。
--2011年8月をもって吉本興業を退社。
-伊藤潔
--在任期間:2000年4月~2001年4月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「イトックス」
--巨漢であり、現在も巨大化し続けている。
--「~でございます。」が口癖。
--昔、パンクロックのバンドでドラムを担当していた。
---学生時代は長髪であった。
--ロケバスのスライドドアに指を挟んで負傷した事がある。
--ナインティナインの担当を離れた後、東野幸治の担当となった。
--ラジオが好きで、自分のラジオ番組を持つのが夢である。
--食べ歩きが趣味で、岡村からのリクエストに応じたお店を探し、紹介してくれる。
--岡村よりデジタル製品やITに詳しく、岡村から見てハッカーレベルであるとされる。
-中島毅
--在任期間:2001年3月~2005年3月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「ナカナカジマ」
--河内マネージャーの後を受けて、ナインティナイン担当チーフマネージャーとなる。
--「有り得ない」セーターを着ていた事がある。
--ヘルニアになった事がある。
--現在は名古屋で勤務されている。
-中村
--在任期間:2003年8月~2004年5月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「お茶娘さん」
--藤井隆のファンであった。
--坪倉の披露宴にて、新婦の両親への手紙で泣く。
--岡村が吉本本社を訪れた際、映画「アバター」について熱く語った。
--日本テレビ取締役である桜田和之氏は伯父にあたる。
---桜田家は、モスバーガー創業者でもある。
-織田(おりた)直也
--在任期間:2004年7月~2005年9月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「おきたくん」
--テンパると、腹話術の人形のような口になる。
--矢部の海外サッカーロケに同伴し、「満喫太郎です」と言った。
--在任期間中に急性大腸炎になり、しばらく神戸の実家で静養した。
--ナインティナインの担当を離れた後、ダウンタウンの担当となった。
--ダウンタウン担当となった後、別人のようになった。
-佐藤詳悟
--在任期間:2005年9月~2007年3月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「サトスター」
--仕事でハワイに行く際、日本の空港にハワイ用の衣装で登場した。
--岡村が「佐藤マネージャーとまちゃまちゃが付き合っている。」とデマを流した。
--岡村がタイへロケに行く際、同行予定であったが遅刻し同行出来なかった。その後、丸坊主にした。
-土橋
--在任期間:2006年6月~2007年3月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「アジアンビューティー土橋」
--元ラガーマン(ポジション:プロップ)のため、「耳ぐっちゃぐちゃ」である。
--花園(全国高校ラグビー大会)に出場している。
--ショルダーバッグをわき腹あたりまで短めにして抱える。
--赤ら顔である。
--会社の先輩・佐藤が運転する車の助手席や、矢部がドラマ撮影中のスタジオの片隅で居眠りをしていた。
--岡村が「土橋は南海キャンディーズ・しずちゃんと付き合っている。」とラジオでネタにしたところ、週刊現代に「T氏」としてスクープされた。
-中野
--在任期間:200X年X月~2010年4月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「サンプラザ中野」
--学生時代、顔面に大量のピアスをしていた。
--一人っ子である。
--野菜が苦手。
--ショッピングが好きである。
--ナインティナインの担当を離れる際、岡村・矢部と写真を撮った。
--ナインティナインの担当を離れた後、大阪に異動し宮川大助・花子の担当となった。
-大森
--おばあちゃんが日系アメリカ人である。
--ナインティナインの担当期間(研修中)に「できちゃった結婚」をした。
--結婚式は神田うの形式(東京・大阪の2回)で行った。
--岡村が映画撮影で沖縄滞在中、大森がレンタカーの運転をしたところ、シフトレバーとワイパーを間違いウォッシャー液を噴出させた。
--岡村から携帯でエロ画像を見せられたところ、鼻血を噴出させた。
-浜田
--在任期間:2010年5月~
--岡村が命名したニックネーム「ブリトニー」
--ヴィッセル神戸の熱狂的なサポーターである。
-今門亮
--在任期間:2010年5月~2013年6月
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「ナウ門」
--眼鏡をかけている。サッカーをする際はコンタクトレンズを着用する。
---仕事でミスをした際、岡村から「ボヤボヤタイム」として眼鏡を取上げられる罰を受ける。
--身長が180cmと、長身である。
--サッカー経験者であり、国学院久我山高校のDFで、レギュラーであった。
--高校インターハイ出場経験がある。
--青山学院大学でもサッカー部でレギュラーであった。
--学生時代は茶髪、ロン毛であった。
--矢部の27時間マラソンに併走していた。
--岡村から「リングス今門」と呼ばれる事がある。
--お姉さんがヘビーリスナーである。古着屋に勤めている。
--父親が警察関係者である。
--仕事でミスをすると、岡村から坊主にするよう言われるが、拒否。代わりに下の毛を剃っている。
--トチった際、現場に片方毎に違うスニーカーを履いてきて、急いで来た感を演出する。
--仕事で失敗が重なり、大谷からデスクワーク(机の掃除)を命じられた。
--大阪に異動となり、坂田利夫師匠のマネージャーとなる事がわかった。
-上原
--在任期間:2013年7月~2014年7月
--ニックネームは、よゐこ・有野には依頼せず、岡村によって「上原投手」となった。
--薬剤師の資格を持っているため、薬剤に詳しい。
--顔色が青白く、体調が悪そうに見える。
--岡村のパリロケに同伴し、現地の日本人とクラブで踊った。
--2014年7月10日の放送を最後に、大谷班に残るものの他のタレントを担当する事になった。
**現マネージャー
-大谷重雄
--在任期間:2009年7月~
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「ジム大谷」
--現在のナインティナイン担当チーフマネージャーである。
--長身であるため、岡村から「進撃の巨人」と呼ばれる。
--元高校球児(関西大学第一高校)であり、甲子園出場経験がある。
---1998年に開催された第70回選抜高等学校野球大会では、決勝まで勝ち進んでいる。
---1998年に開催された第80回全国高等学校野球選手権大会では、準決勝まで進出している。
---松坂(現・レッドソックス)からヒットを放った事がある。
---甲子園に出場した際のエースは、横浜DeNAの主力投手・久保康友である。
--2010年の岡村の長期休養は、矢部と大谷が相談して矢部が岡村に伝えた。
--2010年に岡村が長期休養した際、入院中の岡村の世話をしていた。
--ナインティナインを担当する前は、笑福亭仁鶴師匠や中田カウス・ボタン師匠を担当していた。
--階段を上るグラビアアイドルのスカートを覗こうとした事がある。
---「そんな事したらバチあたるで」と言う岡村の予言通り、その後wifiルーターを遺失する。
--岡村が香港ロケの際、当地の気温を尋ねたところ「20度超えです。」と答えたが、現地は寒かった。薄着で震える岡村を他所に、大谷はヒートテックを着こんでいた。
--財布を無くし、自暴自棄になる。その後、財布が出てきたが、金銭は抜き取られていた。
--大谷が担当するタレントは、事故遭遇や病院送りになる事が多い。
--パクチーが食べられない。
--体育会系なので声がデカい。
--岡村のインドロケに同行した際、日本から4万円分のルピーに両替するも、ほとんど使う事なくモンブランの万年筆を購入。
--携帯ゲーム(ラインポップ)にハマっている。
--矢部のために区役所へ婚姻届をもらいに行き、結婚しないのに窓口で事細かく説明を受けた。
--一時期、日本テレビの馬場アナウンサーを狙っていた。
--秘書やアナウンサーなど、知的な職業の女性がタイプ。
--矢部のブラジルW杯取材に同行し、アルゼンチン人がyoutubeにUPした映像に矢部と共に映りこんだ。
-車谷
--在任期間:2014年6月~
--よゐこ・有野が命名したニックネーム「新車・車谷」
--石原裕次郎のような水の飲み方をする。
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**芸人
-高橋(へびいちご)
--へびいちごのツッコミ担当。ナインティナインの同期であり、吉本印天然素材のメンバー。
--岡村と仲が良く、岡村が大阪に居る際には一緒に行動する事が多い。
--機械系統に詳しく、機械オンチの岡村に代わって岡村宅の家電をセッティングしたり、家電をチョイスしたりする。
--車・バイクにも詳しく、岡村が車を購入する際に車屋との仲介を行った。
--岡村の原付バイクを譲り受け、東京~大阪を一般道で持ち帰った。
--若手時代はあまり仲良くなかった。
--絶妙なタイミングで岡村に話掛けたり、岡村宅で荷物を置く位置が岡村の想定通りであったりと気が合う。
--高橋と一緒に居る岡村は、何一つおもしろくないとの事。
--岡村いわく、「高橋が女やったらええのに」
--岡村と仲が良い恩恵を受け、たむけんの「TKF大祭り」や、「過ぎるTV」のレポーターなどの仕事をする。
-龍馬くん
--芸名「サドルマン」として活動中。
--ブログをしている。書き出しは、「サドル星からアイラブユー」
--非常に温厚な性格で、あまり怒らない。
--NSC9期生の同期で、若手時代によく遊んでいた。
--ミナミ周辺に独り暮らしをしていたため、芸人仲間の溜まり場になっていた。
--岡村と宮川大輔が始めて出会ったのが、龍馬くんの家。
--居酒屋「かかし」でバイトをしていた。
---閉店後、店の残り物でお弁当を作り、岡村にあげたりしていた。
---その時、岡村はパンツ一丁で吉本の社員「ナモト」の名前でリズムをとりながらけん玉をしていた。
--2006年頃、芸人を辞めてキックボクサーをしていた。東京・恵比寿で偶然に岡村と会う。
--岡村療養中のめちゃイケオーディションに参加し、矢部を驚かせた。
**その他
-大崎洋
--現・吉本興業代表取締役社長。
--ナインティナインが若手時代、泉派とされていたため、あまり接点が無かった。
-川崎さん
--ナインティナインが若手時代、川崎がとってきたPL学園の学園祭に出演したが、ギャラが払われなかった。
---謝礼は、ケンタッキーフライドチキンのみであった。
--吉本芸人の間で、「川崎の営業はギャラがもらえない」と有名であった。
-木村政雄
--吉本興業の元常務取締役。
--「やすし・きよし」のマネージャーであった事で知られる。
--木村がナインティナインにパチンコ「CR炎の爆笑軍団」のキャラクター使用料を払うと約束したが、支払われていない。
-本多正識
--ナインティナインがNSC在学中の漫才講師。
--ラジオ番組の投稿から漫才作家へとなり、主に上方漫才師の漫才を担当している。
--ナインティナインが結成当初、ボケが矢部・ツッコミが岡村である事をいち早く「君ら逆ちゃうか?」と指摘した。
-大工富明
--ナインティナインがNSC在学中の講師。
--「4時ですよーだ」の企画・構成を行っていた。
--岡村が「ナイナイ何がおもろいんかわかれへんわー」という大工のモノマネをしていた。
---大工のモノマネのトーンを高くすると、織田裕二のモノマネになる。
-寺崎要
--ナインティナインがNSC在学中の漫才講師。
--関西の人気お笑い番組の構成を行っていた放送作家。
--NSC在学中のナインティナインをあまり評価していなかった。
&color(#4169E1){岡村、東野の珍道中}
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*吉本興業
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ナインティナインは、デビューから一貫して吉本興業(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属する芸人である。1994年から放送されているナインティナインのオールナイトニッポンでは、マネージャーを筆頭に吉本関係者の話題が語られる。
**マネージャー歴任者
**現マネージャー
[[移転済>http://matome.naver.jp/odai/2141032044866520001]]
#amazon(4344023641,mage,width=100)
**芸人
-高橋(へびいちご)
--へびいちごのツッコミ担当。ナインティナインの同期であり、吉本印天然素材のメンバー。
--岡村と仲が良く、岡村が大阪に居る際には一緒に行動する事が多い。
--機械系統に詳しく、機械オンチの岡村に代わって岡村宅の家電をセッティングしたり、家電をチョイスしたりする。
--車・バイクにも詳しく、岡村が車を購入する際に車屋との仲介を行った。
--岡村の原付バイクを譲り受け、東京~大阪を一般道で持ち帰った。
--若手時代はあまり仲良くなかった。
--絶妙なタイミングで岡村に話掛けたり、岡村宅で荷物を置く位置が岡村の想定通りであったりと気が合う。
--高橋と一緒に居る岡村は、何一つおもしろくないとの事。
--岡村いわく、「高橋が女やったらええのに」
--岡村と仲が良い恩恵を受け、たむけんの「TKF大祭り」や、「過ぎるTV」のレポーターなどの仕事をする。
-龍馬くん
--芸名「サドルマン」として活動中。
--ブログをしている。書き出しは、「サドル星からアイラブユー」
--非常に温厚な性格で、あまり怒らない。
--NSC9期生の同期で、若手時代によく遊んでいた。
--ミナミ周辺に独り暮らしをしていたため、芸人仲間の溜まり場になっていた。
--岡村と宮川大輔が始めて出会ったのが、龍馬くんの家。
--居酒屋「かかし」でバイトをしていた。
---閉店後、店の残り物でお弁当を作り、岡村にあげたりしていた。
---その時、岡村はパンツ一丁で吉本の社員「ナモト」の名前でリズムをとりながらけん玉をしていた。
--2006年頃、芸人を辞めてキックボクサーをしていた。東京・恵比寿で偶然に岡村と会う。
--岡村療養中のめちゃイケオーディションに参加し、矢部を驚かせた。
**その他
-大崎洋
--現・吉本興業代表取締役社長。
--ナインティナインが若手時代、泉派とされていたため、あまり接点が無かった。
-川崎さん
--ナインティナインが若手時代、川崎がとってきたPL学園の学園祭に出演したが、ギャラが払われなかった。
---謝礼は、ケンタッキーフライドチキンのみであった。
--吉本芸人の間で、「川崎の営業はギャラがもらえない」と有名であった。
-木村政雄
--吉本興業の元常務取締役。
--「やすし・きよし」のマネージャーであった事で知られる。
--木村がナインティナインにパチンコ「CR炎の爆笑軍団」のキャラクター使用料を払うと約束したが、支払われていない。
-本多正識
--ナインティナインがNSC在学中の漫才講師。
--ラジオ番組の投稿から漫才作家へとなり、主に上方漫才師の漫才を担当している。
--ナインティナインが結成当初、ボケが矢部・ツッコミが岡村である事をいち早く「君ら逆ちゃうか?」と指摘した。
-大工富明
--ナインティナインがNSC在学中の講師。
--「4時ですよーだ」の企画・構成を行っていた。
--岡村が「ナイナイ何がおもろいんかわかれへんわー」という大工のモノマネをしていた。
---大工のモノマネのトーンを高くすると、織田裕二のモノマネになる。
-寺崎要
--ナインティナインがNSC在学中の漫才講師。
--関西の人気お笑い番組の構成を行っていた放送作家。
--NSC在学中のナインティナインをあまり評価していなかった。
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