夕暮れの空は血のように赤い。日の入りと共に刻一刻と辺りは暗くなるのに、
時が止まっているかのように静かだ。潮騒の音にカモメの鳴き声が時折混じる。
日向は一人の少女と共に砂浜に腰掛けて、夕日を見つめていた。
「何もしなくても心地いいことってあるんだね。新鮮だなあ。今まで暇な時間はずっとゲームしてたから」
少年の肩にもたれかかりながら、少女が呟く。日向は相槌を打たなかったが、
少女は抗議するわけでもなく、うっとりと目を閉じている。
上空を仰ぎ見る。背後から星空が迫ってきている。先刻二人で、一番星を発見したのを思い出す。
星明かりは音も立てずに瞬いている。
「暗くなってきたな。ホテルに戻ろうか」
「そうだね」
離れて立ち上がると、肩に残った温もりが名残惜しい。無言で手を差し伸べると、一回り小さな手が重なる。
長く伸びた影が闇に溶けていくのを見下ろしながら、二人は砂浜を後にした。

卒業か留年か、それとも強制シャットダウンか。理不尽としか思えない選択を迫られたあの日、
日向達は『留年』を選んだ。世界に江ノ島という絶望をばらまく傲慢さも、今の自分を捨て
絶望に戻る勇気も持ち合わせがなかった、ただそれだけの結果。
気づいたときには、七海が傍らに立っていた。おしおきで消去されたデータを復元したのか、
それとも七海千秋の外見をした江ノ島アルターエゴのコピーなのか。モノクマの姿に戻った江ノ島は、
どちらとも明言しなかった。
未来機関の三人はどこかへ監禁された。死んだはずのみんなは戻ってきた。
南国の島で永遠に続く修学旅行が再開された。

「千秋ちゃん、日向くん、おかえりなさい」
モノミがホテルのレストランでニコニコしながら出迎えてくれる。花村と一緒に夕飯を作ってくれていたらしい。日向と七海は配膳を手伝った後、食べ始める。
「いただきます」
他の生徒達も、各々食事をしている。田中は隅の席で
「さあ、暗黒の宴だ。胎児のはらわたを贄に新たな力を得るがいい」
と高笑いしながら破壊神暗黒四天王にひまわりの種を与えている。
弐大は食べた夕飯のカロリー計算をしていたが、青い顔をしてトイレに走っていった。
モノミは花村に口説かれて、長い両耳を引っ張って真っ赤な顔を隠し、もじもじと首を振っている。
ここにいない面々は、ダイナーにでも行っているのだろう。しかし、確実にそうでない者がいるのを
日向は知っている。

例えば九頭竜。
「今更、ペコに会わせる顔がねえ」
コテージに引きこもった九頭竜を、扉の前で待ち続ける辺古山。
「……ぼっちゃん。どうしても私に会いたいと思ってくださったんですよね。
 それだけで私はとても幸せです。どうかご自分を責めないでください」
竹刀を背負ったセーラー服の少女は戸に額をつける。板一枚挟んだ場所で、扉に背を預けて九頭竜が座っている。
(ペコが生かしてくれたってのに……その想いを無駄にして、今更顔向けなんかできるか。
 第一あれは外見がどうであれペコじゃねえ。何をしたってあいつへの冒涜にしかならねえ)

レストランを出た日向と七海は、食事を載せたトレイを一つずつ持って、コテージの群れへと向かう。
プールの水面に映った星々が涼しい夜風に揺れる。
途中で終里とすれ違う。
「終里、俺らより夕飯遅いなんて珍しいな」
「……ああ、なんだか腹が減らねぇんだ」
何気なく声をかけ、その返答に驚く。体格のいい少女はいつもと違い、焦点の合わない視線を二人に投げてくる。
「……何のために飯を食ってたのか、わからなくなっちまったんだ。今までその日その日を生きるのに必死で、
こんなこと考えたことなかったのに……チクショウ」
人が変わってしまったかのように力ない声で話し、彼女はふらふらとホテルの方へ歩いて行った。

コテージの近くまで来ると、ホテルに帰ってきた一団と出会う。
姉妹のように仲良く手を繋いだ小泉と西園寺。細い身体のどこにそんな力があるのか、
十神の巨体を笑顔で引っ張っていく澪田。その後から申し訳なさそうに、でも少し嬉しそうについていく罪木。
「あ、創ちゃんに千秋ちゃん! 仲良くお散歩っすか!?」
「おい、澪田……」
 陽気に声をかけてきた澪田を、十神が渋い顔で制す。そこで初めて二人が運ぶ物に気づいたらしく、
気まずそうに頬を掻きながら澪田は苦笑いを浮かべて話題を逸らした。
「え、えへへ……そうだ、明日みんなでビーチバレーやる予定なんっすよー、ねえ白夜ちゃん」
「親睦の一環だ。調度いい、おまえたちも参加しろ」
「わーい! 日向おにぃと七海おねぇも一緒に罪木にココヤシぶつけようよ!」
「ええぇっ! び、ビーチバレーってそういう競技でしたっけぇ……?」
「こら、日寄子ちゃん。蜜柑ちゃんを泣かしちゃだめよ」
「……わかったわかった。俺も行くよ。七海もいいよな?」
「うん。やるからには負けないよ」
わいわいとそれぞれのコテージに帰っていく五人を、日向と七海は見送る。ざわめきの余韻が、
放課後の人のいない教室のような寂しさを醸し出す。
二人は静かに顔を見合わせた後、ソニアのコテージへと向かった。

「ありがとな、日向、七海」
コテージの戸を空けて、左右田は二人分の夕飯を受け取った。
「ソニアさんの様子はどう?」
「……相変わらずだ」
「そうか。あまり無理するなよ。いつでも代わるからな」
「ああ」
並んで去っていく日向と七海を見送って、左右田は扉を閉める。
豪奢な内装の部屋。上質な生地のネグリジェを着たソニアが、ベッドの上に腰掛け無表情に宙を見つめていた。
「ソニアさん、夕飯っすよ」
「……とつげき、となりの晩御飯ですか?」
「ええ、晩御飯ですよ」
虚ろな眼差しで聞き返してくるソニアに笑顔で相槌を打って、夕飯の乗った小さなテーブルを
ベッドに引き寄せる。かつて凛としていた王女の灰色の瞳は、今はどんよりと曇っていた。
希望を示して散っていった田中の意志を無碍にしてしまった罪悪感。それなのに田中が無事な姿で
目の前にいるという矛盾。ジレンマに耐え切れず、ソニアは壊れてしまった。
身動きもしないし言葉も発しない。ほとんど何の反応も示さず、一日中ベッドの上でぼんやり座っているだけ。かつての華やかな姿は見る影もなくやつれ、別人のようになってしまった。
左右田はそんなソニアの姿を誰にも見せたくなくて、彼女の身の回りの世話を引き受けた。
他のみんなは自分たちのことを気にせずいつもどおり過ごすようにと、無理に説得した。
みんながソニアを気にして暗い顔ですごすのは、ソニアをますます惨めにさせるようで耐えられなかった。
「ソニアさん、あーんしてください」
「あーん……もぐもぐ……合格です、ほめてつかわしましょう」
つきっきりで懸命に世話をした成果か、ソニアは少しずつ反応を返してくれるようになった。
意識はあやふやなままでやりとりも少しちぐはぐだが、声をかければ返事が返ってくるようになった。
しかし、同時に新たな弊害も出てきた。

「……田中さん、ごめんなさい……ごめんなさい……」
真夜中、すすり泣く声で左右田は目を覚ます。ソファーから身を起こした拍子に、
頭の下に敷いていた愛用の帽子が床に落ちる。
構わず急いで灯りをつけ、ベッドに駆け寄ると、ソニアが長い金髪に顔をうずめて肩を震わせていた。
「……ごめんなさい、うぅ……田中、さん」
「ソニアさん、大丈夫ですよ。田中は怒ってませんよ」
あの『田中』と今の『田中』が同じなのか。今の自分たちのことを、あの『田中』がどう思うか。
頭をよぎる考えを振り払って、ソニアを安心させるためだけに、細くしなやかな手を握って声をかける。
「……ひっく、……本当ですか? 田中さん」
「ええ。だから安心して眠っていいんですよ」
毎晩のように、田中への悔恨にむせび泣くようになった彼女。
――抑え込んでいた感情をようやく吐き出せるようになったんだね。確実に回復してきてはいるんだよ。
七海はそう言っていたが、左右田は悲嘆にくれるソニアを見ていると、たまらない気持ちになる。
「田中さん、本当に怒ってませんか?」
胸元に縋りついて真っ赤に腫らした目で見上げてくるソニア。子供のような舌足らずな問いかけに、
乱れた金髪を手で梳くように撫でながら答える。
「田中、は、怒ってないですよ」
「よかったあ……」
無邪気な笑顔に一瞬だけ救われて。
「田中さん、わたくし、田中さんが好きです。……お慕いしています」
次の瞬間一気に胸を締め付けられる。
これが初めてではない。何度も聞いてしまった、ソニアの本心。田中への想いが何故ここまで彼女を壊したのか、
おそらくその本当の理由。
「大好きです、田中さん」
閉じられる瞳。近づいてくる顔。何度目になるか分からないキスを左右田は黙って受け止めた。

「本当は黄金のマカンゴを交換してからですけれど……」
相変わらず焦点の合わない瞳で、恥じらいに頬を染めて。
「今だけは、ノヴォセリック王女の私ではなく……一人の女として、愛してください」
ソニアは上目遣いに左右田を見上げる。
罪悪感に駆られながらも、ベッドの上に身を乗り出し、ソニアを抱きしめる。深い口づけでゆっくりと
互いの舌を絡め合いながら靴を脱ぎ捨て、左右田はベッドに上がった。ほんのりとピンク色をした耳たぶ、
白い喉元、そして再び唇と順番に何度も吸い上げる。背中に回ったソニアの手ががほんのりと温かい。
ネグリジェの前ボタンを外してブラジャーのカップの下に手を滑り込ませ、膨らみをゆっくりと揉む。
こりこりと硬くなった頂点を摘まむと、柔らかな嬌声が上がる。
「あ……ふあぁん」
ふかふかした胸の感触は、暗い気持ちを一瞬でも晴らしてくれる。左右田は双丘の間に顔を埋めた。
「あぁ……田中、さぁん」
直後に頭上から降ってきた声で現実に引き戻される。ソニアの虚ろな目に映っているのは、左右田ではない。
彼は、好きな女の子が心神喪失状態なのにつけこんで、彼女の身体をいいように弄んでいるだけなのだ。

背徳感が興奮を呼び、行為を早めさせる。ネグリジェの裾をたくし上げ、下着を脱がす。
片手で胸の感触を楽しみながら、太腿の間に指を伸ばすと、自分の股間に血液が凝縮するのが感じられる。
「ん、んふ、ふわぁあんっ、……あぁ、やあぁっ!」
「すみません、ソニアさん。ちょっと強すぎましたか?」
「い、いいんです、もっと、お願い、します……」
乳房に吸い付き、同時にぐちゅぐちゅと蜜壷を掻き回す。一番敏感な部分をじらすようにこすると、
ソニアが身をよじる。
「あ、ああぁ、やぁ、そこは、あぁ、」
口を乳房から秘所に移し、割れ目から流れる愛液をちろちろと舐めとる。舌先を軽く挿入し、
陰核を皮ごと押し上げると、ソニアの身体が一際大きく跳ねた。
十分感じてもらった頃に、愛撫を止める。陶器の肌に真珠のような汗を浮かべ、頬を上気させて
ぐったりしているソニアは、恐ろしく淫靡で美しい。どこも見ていない瞳の上で睫毛が静かに震える。
「入れてもいいですか、ソニアさん」
「ああぁ、ください、たなかさんのを、わたしのなかに」
ズボンのチャックを下ろし、ごそごそを自らのモノを取り出す。がちがちに張り詰めて、先走りの液を垂らす
それを、ソニアの膣口にあてがい、そろそろと押し込む。完全に中まで挿入し、ひくひくと締め付けてくる
内壁を味わい、眉間に皺を寄せて快感に耐えるソニアの顔を見下ろす。
「た、なか……さ……」
形の良い唇から漏れ出る名前に、その名前を呼ぶ鈴の声音に、心臓を掴まれる。
「ソニアさん……」
いつか元気になったソニアに、蔑まれても、罵られても、嫌われても構わない。
ただ一時でも、快感に身を任せることで、ソニアが悲しみを忘れてくれるなら、それでいいと思ったのに。
「……田中さん、……田中さん!」
「ソニアさん。ソニアさん、ソニアさん、ソニアさん、ソニアさん」
どんなに身体を重ねても心は手に入らないというのに、左右田は彼女の名前を呼び、臀部に腰を打ちつけ続ける。
「うああああああああああぁっ!」
「ううっ……」
達する寸前で引き抜いた男根から飛び出した精液が、ソニアの白い腹を違う色の白で汚す。
「……ソニアさん」
「たなか、さん……」
何度呼んでも、左右田の名前が返ってくることはなかった。

時間は少し遡り、七海のコテージの前。日向は七海とキスをしていた。
濃密に舌を絡ませあい、唾液と一緒に互いの胸の奥にある何かを求め合う。薄桃色に頬を染める少女の
本当の中身も知らないまま、日向は七海をきつく抱きしめた。腕の中の小さな肩が虚構ではないと
信じようとした。虚しい努力だというのは分かっていた。
「日向くん、じゃあ……」
「ああ、また明日、な」
「ビーチバレー楽しみだね」
七海と別れ、日向は自分のコテージへと足を向ける。
恋人のように深いキスを繰り返しながらも、二人は肉体関係を持っていなかった。日向の心中にわだかまる
絶望感が、それを妨げていた。但し『まだ』というだけであって、いつ状況が転がってもおかしくはなかったが。
偽りだけれども平和な世界にどっぷりと浸かり続けて、いつまで流されずにいられるだろう。
そのうちきっと何もかもがどうでもよくなって、楽しい日々を、甘い幸せを貪るようになるのだろうと、
日向は薄々感じていた。それができなければ、ソニアのように自分を壊してしまうしかない。
――自分のコテージまで歩いてきて扉に手をかけたが、視線を感じて振り向く。
「狛枝」
足音もなくそこに立っていたのは、薄笑いを浮かべた少年。
希望を妄信し最期まで希望に殉じた彼は、気づけば当たり前のように南国に紛れ込んでいた。
特に悪意を発露させることもなく、まるで普通の少年のような言動をとる。コロシアイさえなければ、
そうだったかもしれないように。
「やあ、日向クン。浮かない顔だね」
どこか霞がかった頭で、ふと思いついた疑問を投げかける。
「なあ、狛枝。おまえはこの世界を、この状況を、どう思っているんだ?」
狛枝は視線を下に向けて少し考えこむと、答えてきた。
「永遠に続く楽園のゲーム。幸運か不運かで考えれば、……少なくとも僕にとっては幸運かな。
停滞は楽だよね。幸運にも不運にも振り回されず、楽しい毎日を過ごすことができるなんてさ」
でも、と狛枝は続ける。
「日向クンが欲しいのは違う答えだよね? 幸せの基準なんて人それぞれなんだから、今この状況が
幸せかどうかなんて、その人自身にしかわからないはずだよ。日向君はどうなの?」
ニコニコと逆に聞き返してくる彼に、日向は暗い声で答える。
「幸せになれないのがわかっているよりは、マシなのかもな」
生ぬるい夜風が二人の間を吹き抜けていった。

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最終更新:2012年10月05日 13:46