カシエル Cassiel


私の名前はエリザベスです。
私は冬の訪れの初めの日に殺されました。
私のお父さんは市場にいました。
私が殺されたとき、お父さんは私のためにリボンを買っていました。
あとになって、お父さんはそのリボンを私の亡骸に結ぶことになりました。

お父さんは私を殺した男と知り合いでした。
それは商売について話したり、信仰について議論を交わしたこともあるお隣さんでした。
お父さんは秩序の信徒として、話を聞く人誰にでもすぐに教えを説きました。
お隣さんは男の人が年頃の少女を眺めるような目付きで私を見ましたが、その日まで彼は私と話したことは一度もありませんでした。

「こんにちは、エリザベス。」

私は名前を知られていたことに驚きました。
私は夜に霜が降りてダメになってしまう前に、小さな菜園に残った野菜を収穫していました。
私は立ち上がり、着ていたドレスの乱れを無意識に直しました。
返事はしませんでした。

「猫に心当たりはないかい?」彼は言いました。

「猫なら飼ってたわ。何週間か前に、いなくなっちゃったの。」

「白い猫?」

「そうよ、猫を見つけたの?」

私はほんの子供にすぎませんでした。
お母さんは私を産んだときに亡くなり、物心ついた頃から猫のアバゲイルは私の秘密を預かる存在であり、遊び相手でもありました。
私はアバゲイルを探しましたが、ほとんど希望を失いかけていました。

「むしろ、猫ちゃんが僕を見つけたのさ。うちの地下室に運んであるんだ。部屋の隅っこに、子猫たちと一緒にね。」

「子猫?」

彼は私の笑顔に微笑み返しました。
彼の手はずっと身に付けたナイフの上に置かれていましたが(この町ではほとんどの男性が持ち歩いています)、そのとき彼は緊張を解いた様子でその手をどけました。

「見たいかい? よかったら君のおうちまで猫ちゃんたちを運ぶのを手伝ってくれないか。夜になる前に、ちゃんと暖かい場所で過ごせるのか確かめたいんだ。」

私は彼の家まで後をついていきました。
私たちはうちの庭を横切り、私と彼の家を隔てる小さな広場を通り抜けました。
そのとき私は興奮していて、どうして表の通りを歩かないのか不思議には思いませんでした。
広場は彼の家の裏手に通じていて、そこには地下室への入り口がありました。
彼は入り口の鍵を外し、私に向けて扉を開け放ちました。
私はこのとき初めて何かが変だと疑いを持ちました。
もし私一人だったら、その下へ降りていくことはなかったでしょう。
でも私は怖がりの女の子だと思われたくなくて、彼に返事をして木の階段を降りていきました。
彼は私の後に続き、後ろ手に扉を閉めました。

地下室は鋭い武器と血で彩られた、アガレスの祭殿でした。
私がそれを見ると、彼はすぐさま襲い掛かってきました。
やがて私は地下室のどす黒く染まった祭壇に生贄として捧げられました。
しかしその前には、いっそう酷い辱めが待っていました。

私は灰色の中を彷徨いました。
私を探しているお父さんの姿を見ました。
私の遺体は数日後に村の外れにある森で、切り刻まれて儀式のあとが残る姿で見つかりました。
私を殺した奴は私の家まで来て、衝撃を受けて動揺しているふりをしながら、他の近所の人たちと一緒に哀悼の意を示しました。
私はお父さんがうろうろしたり、泣き伏したり、近所の人が訪れると気丈を装ったりするのを見ました。
娘が一番自分を必要としていたときに、そばにいてやれなかったことを悔やむ気持ちで押しつぶされそうになっていました。

やがて私は他のことに気付きました。
アバゲイルが壁を通り抜けて現れ、私が餌をやるのを忘れたときに覚えたような鳴き声をあげました。
私はアバゲイルに駆け寄って抱え上げ、鼻先を首筋に押し付けるようにして思い切り抱き締めました。

それからアバゲイルを床に降ろすと彼女は歩き始め、私がちゃんと後をついてきているか確かめるように振り返りました。
私たちは街を出て、森や野原や山を越えました。
私は疲れたりお腹が空いたりすることもなく、まるでもやがかかったようなぼんやりとした景色しか見えませんでした。
私たちは薄暗い場所を避けるようにして進み、そうした場所から時折聞こえる声は、いつも怒りや悲しみに満ちたものでした。

私たちは、住んでいた街よりもずっと大きな都市に辿り着くまで歩き続けました。
私たちはその街の中央に位置する青銅と黒で装飾された壮麗な宮殿へと入っていきました。
謁見の間に足を踏み入れると、景色のもやは部屋の真ん中あたりから消え去っていきました。
象牙色の肌の男が玉座に腰を下ろし、2人の商い人が言い争っているのを聞いていました。
その男は疲れた様子で、私はかろうじてその人物のことを知っていました。
彼はかつて最も偉大な天使であり、今では下界の者たちに時を費やし、重責を担う存在でした。

私は人間になった天使のことを聞いたことがありました。
神々に背を向け、信仰とは隷属に過ぎず、みずから神々への不服従を唱えた大天使カシエル。
しかし実際に目にし、肌で感じ、体験したあとでは、……。
わたしはその考えを認めることができませんでした。
信仰を以て戦うべき敵は存在するのです。
私は彼の玉座へと近づきました。
他の誰もが私に気付かなくても、彼ならわかると確信して。

「カシエルさん、私はヴェールの信徒に殺されたんです。あなたはそれを何とかしようとは思わないんですか。秩序の修道会は奴らと戦おうとしています。どうしてそれを助けてあげないんですか。」

彼は私に目を向けました。
私は彼がとても深い悲しみを湛えていることに気が付きました。
それは私の寝室で泣き叫んだお父さんと、まるで変わらないような悲しみでした。
言い争っていた商い人たちは口論をやめ、カシエルの意識が別のほうへ向けられていることに気付きました。

「目を開けなさい。」

彼の私に向けたその言葉は、彼の心からの願いであり、同時に命令でした。
私がそのように努めると、カシエル以外の全てが遠くに感じられました。
足元にはアバゲイルがいて、それ以外はただ互いに混ざり合う灰色の雲でした。
その雲を見ると、人の姿や、顔の形をしていました。
そして私は雲の中に他の者の魂を感じ始めました。
男に女、オークにエルフ、子供に大人、みな自分自身の灰色の世界に囚われていました。

私は、嘘をついたせいで秩序の聴罪司祭に処刑された男や、家族が充分な食べ物を賄えず、キルモフの教えが慈善行為をないがしろにするせいで飢え死にした少年や、住処を作るために御神木を切り倒したことが元で緑葉の同胞に殺されたエルフなど、たくさんの魂と語らいました。
そして、神々を信頼することも、受け入れることもなく、神々のためだなどとは信じずに、戦争で死んでいった数多の霊たち。

それから私がカシエルのもとへ戻ると、彼は宮殿の屋根に独り座り込んでいました。

「私たちは永遠にこの中途半端な世界に囚われる運命なんですか? 神様だって間違いを犯すことはあるんだってことはわかりました。でも、天国へ行ける方法がそれしかないなら、私たちは神様に従うほかにどうしようもないでしょう?」

カシエルは私に微笑みました。
「神々が作った場所は、天国なんかじゃないさ。本当の天国への扉は、誰にも開かれてはいない。神々にさえもだ。いつかその扉が開いて、私たちはそこで再び巡り会うんだ。そのときを待ちながら、私たちは持って生まれたものを高めようと努めるのさ。」

それから私は玉座の足元に座ってアバゲイルと遊び、そして下界での出来事を次第に気にしなくなっていきました。
しかしそれも、謁見の間で聞き慣れたお父さんの声を聞くまでのことでした。

「カシエル卿、私はバンノール帝国から参りました。私は同志に背を向け、神に背を向けました。かつては自分にとって重要なものだと感じ、この身を捧げましたが、信仰は私が求める安らぎをもたらしてはくれませんでした。
うつろな祈りの言葉と、私自身の心の弱さがあるだけでした。
今、私はあなたのもとへ参りました。
三年前、私の娘が殺されました。
その子はまだほんの子供で、なにやら邪悪な儀式の生贄へと捧げられたのです。
司祭たちは、そのような死に方をした者は墓地に葬ることはできないと言い、邪悪な魂がその小さな骸に取り憑かないよう、娘を焼き払いました。」

お父さんは心を落ち着けるために力を振り絞りました。
そして深呼吸して、言葉を続けました。

「今、私はあなたのもとへ参りました。」彼は同じ言葉を繰り返しました。
「助力の申し出と言ったところで、私はしがない商人に過ぎません。しかしあなたの許しが頂けるなら、私はグリゴリの一員として加わりたいのです。」

カシエルは彼を見つめました。
このような嘆願は珍しいことではありませんでした。

「今夜は宮殿に泊まるといい。明日、あなたは新しい人生に目覚める。今日までの生は過去に捨て、ここで新たな生が始まるのだ。あなたの名前はグッドレオーとなる。明日の朝には街へ行き、仕事を見つけ、人々の中に居場所を得なさい。しかし今夜はまだ、あなたは商人のタムールだ。私の部下があなたを部屋まで案内する。食べ物と飲み物を届けさせよう。食べて、よく眠ることだ。」

お父さんは彼に感謝の意を示し、部下の人に続いて謁見の間を後にしました。
私は彼らの後を追い、お父さんに与えられた小さな寝室に腰を下ろしました。
お父さんには長旅が堪えたみたいで、がつがつと食事を済ませると眠りに落ちていきました。
私は、お父さんが私の死を悲しんで私の寝室で泣いたときと同じように、部屋の隅っこに座っていました。

「エリザベス?」

お父さんは、目を……目を覚まして、私をじっと見つめました。

「そうよ、パパ。」

彼はベッドから跳ね起きて、恐怖に震えました。
でもそれはただ、どういうわけかこのことを予感していて、抱きしめる前に私が消えてしまうのではないかと考えたからでした。
でもお父さんの腕は私を完全にすり抜け、彼は床に泣き崩れました。
私がそばに跪くと、お父さんは私を見つめ、私の顔を隅々まで頭に刻み付けようとしました。

「ああ、いとしい子よ、すまない……お願いだ、許しておくれ……許しておくれ……」

「パパ、私は大丈夫よ。」

私たちは語り合いました。
私は偽りの天国の話をし、宮殿で暮らしていることを伝えました。
あれから三年も経っていたとしても、私にはほんの数日間のことのようでした。
死んだときのことはよく覚えていないけど、お父さんとゲームで遊んだり、一緒に散歩したりしたことはよく覚えていました。
私は自分を殺したのが誰なのかわからないと嘘をつきました。
お父さんに戻って欲しくなかったからです。

私たちは空が白むまで語り合いました。
私の姿が見えなくなり始めると、お父さんは私に行かないでくれと乞い、そのためなら何でもすると言いました。
私はカシエルの言葉を繰り返しました。

「いつか、天国への扉が開いて、私たちはそこで再び巡り会うのよ。そのときを待ちながら、私たちは持って生まれたものを高めようと努めるの。」

お父さんは私を愛している、きっとまた会おうと言いました。
そして私の姿が完全に消え去ると、グリゴリでの新しい生を始めるため、宮殿を後にしました。

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