フラウロス Flauros


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「名前は?」

チェンバレンは彼女に尋ねました。

彼は、高貴の証のほとんどを――不活発な黄色の目、青白い様相、永続する冷笑を――持っていました。

「テアリィです」

訊ねられた若い女性は戦慄を堪え、小さく答えました。

「娘、近づいてよく聞くのだ。あの方に問われぬ限り、自分から名前を教えてはならない。そして、あの方を『閣下』や『主人』と呼ばなくてはならない。もし、お前が再び家族に会いたいと願うなら、あの方の言う事はすべからく従うのだ。……理解できたな?」

「はい、解かりました」

テアリィがそう答えたのを聞いて、チェンバレンはドアを閉め、一瞥もくれずに向きを変えて遠くへと行ってしまいました。

残された彼女がベッドの一角に目をやった時、テアリィは、寝室の造りに声にならない程の驚きを受けました。

そこは彼女が知りさえしなかった、贅を尽くしたもので満たされていました。

絹で編まれたシートとカーテン、タペストリー。
古く、まだ震動する時代に世界の裏側から輸入された古代のモミ木を刻まれて作られた家具、原始の銀に覆われた高い鏡。

テアリィは、その鏡で自分を見て、彼女が着て来た羊毛ガウンが汚らしく見え、自分が小さくて、みすぼらしい、この部屋に不釣合いな存在であると思い知らされました。

その時、ドアが突然開き、彼女の注意を急激に引き付けました。

そこに現れた男性――フラウロスは、部屋の調度品たちを彼女のブーツ上の汚れと変わらぬものに変えてしまいました。

何故なら、彼は、村の疲労した人々、あるいはそれらに対して威張った尊大な貴族などの、彼女の人生で見た、どの人間よりも美しかったからです。

刺すような目と高く滑らかな通った鼻筋。
その顔立ちは、神から捨てられたという人類の始まりから、隔絶した存在のようでした。

また、彼の振る舞いは、世界は彼のものであるのが自明であるかのように感じさせるものでした。

テアリィは悟りました。
自分の全ては彼の下に置かれた小物でしかない事を。

「やあ、私の子よ。恐れる必要は無い」と彼は言いました。

「君が私についての全てを聞かされている事は知っている」

「……いいえ、閣下。私は貴方様の美しさを聞いてはいませんでした」

彼は微笑みました。

「城下町でお前が働いているのを見たのだ、我が恋人よ。そして、ここに来る様に遣わせた。城に住むという事は、そうでない者とを明確に分かつ行為と言える。それは民衆が自分が何者であるかを忘れては秩序が乱れてしまうからなのだよ。……君の名は?」

「テアリィです、閣下」

「テアリィ。君の家族を城へ招待してやろうか?」

彼は彼女の肩に手を置いて尋ねました。

そこから始めた愛撫が彼女にとって不本意であると察し、彼は目をひそめました。

「恐れる必要は無い、と言った筈だが?」

「閣下、その……そうではないんです。私は一人身ではないのです。母親が死んで私が家計を助けるために、父親に婚約者と別れさせられて働きに出たものですから……」

それを聞いた彼は、瞳を見ることを彼女に強いてから、理解者のように接しました。

「ああ、テアリィ。そう緊張するな。今はその事は忘れるんだ。恋人や親について、心配する必要はもう無いのだから」

彼女はその言葉に抗議したかったのですが、彼の瞳を見た彼女はこう言ってしまうのでした。

「はい、閣下」

……話に聞いていた破瓜の痛みは、思うほど辛くはありませんでした。

その事後、彼女は王の寝室ではなく、この部屋で自分を抱いたのは彼の謙虚から来るものではないと、思いました。

彼女の心と体を、翻弄したこのベッドでの行為は、巨大な権力を持つ王としてでなく、確かに彼女の夫としてのものでした。

その瞬間、彼女は、鋭い首の痛みに息を詰まらせました。

「止めて下さい、ご主人様ッ!!」

首の痛みは強まり、血液が首の下へ流れ出るのを感じました。

彼女は激痛にのたうち回って、再び叫びましたが、彼女の力ではそれから逃がれる事は絶望的でした。

そんな彼女の慈悲への嘆願に、彼は最後まで反応しませんでした。

やがて彼女は言葉を発さなくなり、世界は彼女の廻りをどす黒く染めていきました。

彼の寝室へのドアを開けた時、チェンバレンは絹のローブを着ている彼に出会いました。

そして、その後ろのベッドに血溜まりに倒れ伏し、色を失った肌をした若い少女が、彼に全てを悟らせました。

「閣下、彼女はまだ生きているのでしょうな?」

チェンバレンは咎める様に問いました。

「彼女と同じくらいの娘の時は生きていた。そうなるように、善処せよ」

そう言って、フラウロスは血で汚れた口を拭きました。

彼が謁見の間に入り、王座に俯きながら座った時、アレクシスは冷笑で彼の汚い寸劇を注意しました。

「良い加減に食事の際に遊ぶのを止められんのか? 弟よ」

「姉上、貴女が世界の終わりまで共に居るつもりなら、遊戯を楽しまない事は、人生を無意味にすることだと知って置いてください。食物は味わうのが道理。その喉が裂かれる瞬間による感情の混濁を湛えた人間ほど、精巧な風味はありませんよ。

……その道理を知るからこそ、貴女はクリオテイテの大使が来るのを待ちわびているのでしょう?」

「確かに、な。たった今、その恋しい大使が来たよ。やはり奴らは和平を求めているようだな」

「では、彼は来た早々、交渉決裂の手紙を持たされて故郷へトンボ返りという訳ですか?」

「まさか。私は食料を無駄にする気など毛頭無いよ。たとえ、それがクリオテイテ産の馬臭い肉だとしてもな。いくら赤子の王様とて、自国の大使が帰らない事が何を意味しているのかぐらい察しがつくだろう」

「ならば見てください、我が親愛なる姉君よ。私が行う戦争という遊戯を。貴女が行う遊戯と共に――」
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