ハイボレム Hyborem


眺めやる仄昏(ほのぐら)し西海杳(さいかいはる)か波のそこ

ひとり憂寂の異形(ゐぎゃう)のまち

死の神自(おのづか)ら玉座しつらへ、ここにして

正邪善悪ことごとく

尽未来(じんみらい)安息に入る。

みたまや、みありか、あららぎなんど

(時劫に蠧(むしば)まれしといへ小(さ)ゆるぎなく)

これ到底わが世のものにあらず。

吹上ぐる風にもわすられ

太虚(おほぞら)の下、思ひはなれて

鬱悒(うついふ)のうしほうしはく。

星天のひかり かつかつ

長夜の都府を射ざれ、

一道のあかりさしいで 荒れまどふ荒海よりは

黙々と小塔たかく流れより

迥(はる)か思ひの儘(まま)の峰の上

円頂の上 尖塔の上はた紫闥(したつ)の上

バビロンめける城壁の上

刻む常春藤(きづた)や雲根(いし)の華

年久しくも忘らえし曖々たるや荒しゃの上

ここた恠(あや)しき霊廟(みたまや)の上を照らせば、祠(ほこら)のまぐさに環飾りして

絡(まつ)はるは雕琴(ゑりごと) えぞすみれ えびかづらぞも。

旻天(あをぞら)の下、思ひ離れて

鬱悒のうしほうしはく。

かげとあららぎとまじらひ

ものすべて虚空(そら)に倒懸(かか)りつ。

巷(ちまた)に聳(そび)ゆる塔中ゆ、思ひ上がりて

死の神は巨人のごとく臨眺(みはるか)す。

琳宇(みてら)はひらき壙(つかあな)は口あけ

銀波燦爛(さんらん)と阿欠(あくび)なせども

偶像の阿古夜の眼に華衍(くわえん)なく

花やぎわたる死人たち

しとねに水を誘惑(いざな)はず

また、あはれ、さざらなみせず、

かの渺茫(べうぼう)の水玉(すゐぎょく)界裡

遠くさちはふわだの原

風荒るるとはしら浪の

怕(おそ)ろしからぬ海の上 風凪(な)ぎけりとも

波言はぬめり。

見渡せば大虚(おほぞら)ゆらぎて

渡津海(わだつみ)さされなみせり、

たとへば堂塔いささめにうち沈み

遅々たる潮推し遣るがごと

翳靄(えいあい)の間天津(あまつ)み空

ささやかに空所しつらへしにさも似たりけり。

いまや海濤赤くなりまさり

時劫仄(ほぬ)かに低(ひき)やかにぞ息づきたる、

この世ならぬうめき声あり

都府さらに頽唐(たいたう)として墜ちゆく時んば

地獄は一千の玉座を起ちて

うやうやし礼(ゐや)をこそ施せ。

エドガー・アラン・ポー(日夏耿之介訳)

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