ユグドラシル法大全

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|&image(4-343-1-s.jpg,http://www48.atwiki.jp/gennsousekai?cmd=upload&act=open&pageid=683&file=4-343-1.jpg)|&image(4-343-2-s.jpg,http://www48.atwiki.jp/gennsousekai?cmd=upload&act=open&pageid=683&file=4-343-2-l.jpg)|&image(4-343-3-s.jpg,http://www48.atwiki.jp/gennsousekai?cmd=upload&act=open&pageid=683&file=4-343-3.jpg)| ユグドラシル法大全 初代皇帝[[バルバロッサ]]は建国後、閣僚から構成される執政府を設立した。 そしてその執政府が初めに取り掛かった事業が、この法典の起草・制定であった。 母国アースガルズを始めとした王政・神政国家のみならず、 中小の議会制民主主義国家の憲法も参考にし、日夜議論を行った。 王権の暴走、或いは衆愚政治の果てに戦争に巻き込まれ、 そして滅んだ国家を幾つも見てきたバルバロッサは、 「如何に賢明なる民を育てるか」を第一に考えた。 彼は、皇帝が賢明で人望があり、有能であることは義務であり、 民がどれだけ賢く、知識を持つかが国家の命運を左右する鍵であると考えたのだ。 皇帝権すなわち全軍を統率する統帥大権、裁判機能である司法大権、国家全体の行政を執り行う執政大権など 各大権の明確化と、それぞれ統帥府、大法院、執政府への権威委任に関する仕組みを確立した。 さらに立法府として、後の帝国議会の前身である帝立最高臣民総会を設立し、 臣民総会議事堂(後の帝国議会議事堂)や各地の議事堂にて国民全員に、 月三度以上出席して政策・法律を議論することが義務付けられた。 バルバロッサが立法府として、敢えて直接民主制を採ったのには理由があった。 民族間・種族間の軋轢があり、また政治的な知識を持つ人間が少ないうちから 間接民主制である議会制度を採用することは、衆愚政治を招く。 そのためまずは国民全てに国家の在り方を考えさせ、 それが浸透した時に改めて議会を設立すべきだと考えたのだ。 意見集約は非常に困難であったが、バルバロッサは意見集約専門の委員会を設立し、 自らも執政官となったロクタスを始めとした閣僚とともに議会に出席して意見聴取を行った。 この時期のバルバロッサは戦中以上に疲弊していたらしく、 『騎士王本紀』に「妻セレニアがいなければ、私はすぐにでも変死体となっていただろう」と書いている。 また理想家の君主が多かった当時としては珍しい現実主義者であったため、理想家の嫌うことも臆せず行った。 その一つが宗教改革で、[[ユグドラシル正教>ユグドラシル正教会 礼拝堂]]を国教としつつ、 各所の独自宗教も一つ一つを皇帝公認という形で活動を認め、 その代わり秩序に反することがあれば国教たる正教会が異端認定を行うことを定めた。 そして治安組織として騎士団、その傘下に憲兵隊を創設し、帝国領全域に人員を派遣、治安維持に当たらせた。 その際「神聖帝国騎士規範」というものを作成し、バルバロッサが騎士、 ひいては臣民に必要と考える資質をあくまでも概念的・抽象的に纏めている。 「大凡帝国騎士たる者の役割は、臣民に奉仕し、生命・財産を護る事である。  その為であれば、汚れ役を買って出ることも厭ってはならない。そして、決して驕ってはならない。  傲慢は退廃への嚆矢となり、いずれ国家を破滅に導くものである。常に自らを戒め続けよ」 という一文から始まるこの規範は、彼の政治姿勢にも大きく反映されている。 普通の国民では重過ぎて、とても背負うことの出来ない重責を例え自らの心身や誇りを犠牲にしてでも、 自ら進んで負うべき者が騎士であり、皇帝であり、国家である。 そしてその重責に耐えた先に勝ち得た栄誉と賞賛は、国民に与えられなければならない。 それを心がけず、国民を蔑ろにすれば国家は動かなくなり、 いずれは打ち棄てられた溜め池の水のように、醜く腐り果ててしまうだろう。 そういった「権力を持つ者は相応の責任を負わねばならない」という考え方の下で 様々な人間の意見を反映し、約4年余りかかってようやく成案が纏められ、 そうして発布されたものが神聖帝国憲法であり、 その下の神聖帝国法規と併せてユグドラシル法大全と呼称される。 この憲法は後世では「テオゴニア大陸初にして最高の先進的憲法である」と高い評価を得ているが、 一方で不備が多いのではないかという指摘もあった。 具体的には皇帝の絶対性の不足や帝室の財産、 各省庁の役割に関する法整備などが不十分であると言われていたが、 これは9代皇帝[[アルベルト]]の時代になって大幅に改正された。 不十分であると判断され改正されることはバルバロッサも想定しており、 憲法前文には初代皇帝の宣言として改正に関する一文がある。 画像はバルバロッサがロクタスや側近と日夜議論を行ったエルネセウムの一室であり、 余談であるがバルバロッサは過労のあまり、 この部屋の床で凄まじい体勢で眠りこけていたのを妻に発見され、 自室に連行され無理矢理一週間ほど休まされたという記述を『騎士王本紀』に残している。 そして現在、この憲法は幾度かの改正を経ながらも本質は変わることなく、帝国の最高法規であり続けている。 「朕は、帝国の発展と、臣民の安寧に資する全ての責務を、朕の後に続く皇帝、  ひいては後世の帝国臣民諸君に委譲す。  朕は、建国者たる初代皇帝のみの有する、唯一無二の絶対的な権利として、  朕より優れた皇帝とその臣民に対し、この憲法の改正を承認することを、ここに宣言するものである」 ―――神聖帝国憲法前文より抜粋
|&image(4-343-1-s.jpg,http://www48.atwiki.jp/gennsousekai?cmd=upload&act=open&pageid=683&file=4-343-1.jpg)|&image(4-343-2-s.jpg,http://www48.atwiki.jp/gennsousekai?cmd=upload&act=open&pageid=683&file=4-343-2-l.jpg)|&image(4-343-3-s.jpg,http://www48.atwiki.jp/gennsousekai?cmd=upload&act=open&pageid=683&file=4-343-3.jpg)| ユグドラシル法大全 初代皇帝[[バルバロッサ]]は建国後、閣僚から構成される執政府を設立した。 そしてその執政府が初めに取り掛かった事業が、この法典の起草・制定であった。 母国アースガルズを始めとした王政・神政国家のみならず、 中小の議会制民主主義国家の憲法も参考にし、日夜議論を行った。 王権の暴走、或いは衆愚政治の果てに戦争に巻き込まれ、 そして滅んだ国家を幾つも見てきたバルバロッサは、 「如何に賢明なる民を育てるか」を第一に考えた。 彼は、皇帝が賢明で人望があり、有能であることは義務であり、 民がどれだけ賢く、知識を持つかが国家の命運を左右する鍵であると考えたのだ。 皇帝権すなわち全軍を統率する統帥大権、裁判機能である司法大権、国家全体の行政を執り行う執政大権など 各大権の明確化と、それぞれ統帥府、大法院、執政府への権威委任に関する仕組みを確立した。 さらに立法府として、後の帝国議会の前身である帝立最高臣民総会を設立し、 臣民総会議事堂(後の帝国議会議事堂)や各地の議事堂にて国民全員に、 月三度以上出席して政策・法律を議論することが義務付けられた。 バルバロッサが立法府として、敢えて直接民主制を採ったのには理由があった。 民族間・種族間の軋轢があり、また政治的な知識を持つ人間が少ないうちから 間接民主制である議会制度を採用することは、衆愚政治を招く。 そのためまずは国民全てに国家の在り方を考えさせ、 それが浸透した時に改めて議会を設立すべきだと考えたのだ。 意見集約は非常に困難であったが、バルバロッサは意見集約専門の委員会を設立し、 自らも執政官となったロクタスを始めとした閣僚とともに議会に出席して意見聴取を行った。 この時期のバルバロッサは戦中以上に疲弊していたらしく、 『騎士王本紀』に「妻セレニアがいなければ、私はすぐにでも変死体となっていただろう」と書いている。 また理想家の君主が多かった当時としては珍しい現実主義者であったため、理想家の嫌うことも臆せず行った。 その一つが宗教改革で、[[ユグドラシル正教>ユグドラシル正教会 礼拝堂]]を国教としつつ、 各所の独自宗教も一つ一つを皇帝公認という形で活動を認め、 その代わり秩序に反することがあれば国教たる正教会が異端認定を行うことを定めた。 そして治安組織として騎士団、その傘下に憲兵隊を創設し、帝国領全域に人員を派遣、治安維持に当たらせた。 その際「神聖帝国騎士規範」というものを作成し、バルバロッサが騎士、 ひいては臣民に必要と考える資質をあくまでも概念的・抽象的に纏めている。 「大凡帝国騎士たる者の役割は、臣民に奉仕し、生命・財産を護る事である。  その為であれば、汚れ役を買って出ることも厭ってはならない。そして、決して驕ってはならない。  傲慢は退廃への嚆矢となり、いずれ国家を破滅に導くものである。常に自らを戒め続けよ」 という一文から始まるこの規範は、彼の政治姿勢にも大きく反映されている。 普通の国民では重過ぎて、とても背負うことの出来ない重責を例え自らの心身や誇りを犠牲にしてでも、 自ら進んで負うべき者が騎士であり、皇帝であり、国家である。 そしてその重責に耐えた先に勝ち得た栄誉と賞賛は、国民に与えられなければならない。 それを心がけず、国民を蔑ろにすれば国家は動かなくなり、 いずれは打ち棄てられた溜め池の水のように、醜く腐り果ててしまうだろう。 そういった「権力を持つ者は相応の責任を負わねばならない」という考え方の下で 様々な人間の意見を反映し、約4年余りかかってようやく成案が纏められ、 そうして発布されたものが神聖帝国憲法であり、 その下の神聖帝国法規と併せてユグドラシル法大全と呼称される。 この憲法は後世では「テオゴニア大陸初にして最高の先進的憲法である」と高い評価を得ているが、 一方で不備が多いのではないかという指摘もあった。 具体的には皇帝の絶対性の不足や帝室の財産、 各省庁の役割に関する法整備などが不十分であると言われていたが、 これは9代皇帝[[アルベルト]]の時代になって大幅に改正された。 不十分であると判断され改正されることはバルバロッサも想定しており、 憲法前文には初代皇帝の宣言として改正に関する一文がある。 画像はバルバロッサがロクタスや側近と日夜議論を行ったエルネセウムの一室であり、 余談であるがバルバロッサは過労のあまり、 この部屋の床で凄まじい体勢で眠りこけていたのを妻に発見され、 自室に連行され無理矢理一週間ほど休まされたという記述を『騎士王本紀』に残している。 そして現在、この憲法は幾度かの改正を経ながらも本質は変わることなく、帝国の最高法規であり続けている。 「朕は、帝国の発展と、臣民の安寧に資する全ての責務を、朕の後に続く皇帝、  ひいては後世の帝国臣民諸君に委譲す。  朕は、建国者たる初代皇帝のみの有する、唯一無二の絶対的な権利として、  朕より優れた皇帝とその臣民に対し、この憲法の改正を承認することを、ここに宣言するものである」 ―――神聖帝国憲法前文より抜粋 &tags()

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