扶桑城


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旧大和皇国領 幕府 扶桑城

大陸から切り離され、古来より独自の文化・技術を育んできた、
八百万の神々が住まうとされる極東の島国。

久平による侵略以前は帝(みかど)によって統治され、『幕府』という組織が帝の補佐を行っていた。
百発百中ともいわれた弓兵と銃兵、太古の『陰陽道』を会得した『陰陽師』と呼ばれる魔術師、
『忍術』という独自の魔術を操る暗殺者『忍者』を擁する軍事国家であった。

優秀な製鉄技術と造船技術を持ち、強力な水軍と侍・武士と呼ばれる戦士が国を護っていた。
彼らは勇敢で、死を恐れず、甲冑に身を固め、
その手に携えた『刀』は纏った妖気により鉄をも斬り裂くという。

しかしera2前期のある年の夏、突如久平軍が侵攻を開始した。
西から侵入した兵力で圧倒的に勝る久平軍は、この国を一月で落とせると見ていた。
だが久平軍にとって、そこは地獄だった。

『オールグリーン』の一部のためただでさえ森が多く、その上慣れない土地のなかで皇国水軍による夜襲、忍者による拠点の爆破や指揮官の暗殺などが頻発したのだ。
奇襲の恐怖に脅えきった久平軍の士気は最悪と言ってよかった。

それでも久平軍は、兵力にものを言わせて首都『瑞穂』まで進軍し、
遂に幕府の本拠地である巨大な城塞『扶桑城』の包囲に成功する。

そして、久平軍の砲兵が戦列を並べ、砲撃を開始しようとしたその瞬間、
軍の総指揮官である侍大将『信長』が自ら500の軍勢を率いて城門から打って出た。
先頭に立つ侍大将『信長』に率いられた侍たちは、一斉に真正面から久平軍に突撃し、
まず砲兵隊を壊滅させ、さらに城を包囲していた約1700余りの久平軍を全滅させてしまった。

それは戦いというよりむしろ、“虐殺”とすら呼べるほど、凄惨なものであった。

しかし戦いの中で兵の多くは討ち死にし、遂に信長一人となった。
信長は押し寄せる久平の援軍に大剣を振りかざして突撃し、さらに50人余りを巻き添えにして果てた。

その後、当時の帝であった平霊帝と幕府は城内に残った数千の民の命を護るため、
涙を呑んで降伏を決意し、疲弊しきっていた久平軍はこれを受諾した。

城内の民の中には『死んでも戦う』と申し出た者も大勢いた。
しかし帝は聞き入れず、頭をたれただ一言『生きよ』と呟いたと伝えられている。

こうして大和皇国は久平領に編入され、『ヤマト』自治区と名を変え、
その後数百年もの間、久平政府により統治され続けることとなる。

久平軍の侵攻からわずか半年後の、冬の日の出来事であった。