太極府


龍陽京中央地区 太極府

統治機関としての久平『久平連合独立同盟』の政治機能に関係する各機関のほぼ全てが存在していた地区。
軍事を担う国防省以外の主要省庁は、過去の城跡を改造して造られた
『天帝宮』と呼ばれる建造物(右の画像)に一纏めに入っていた。
現在は、ソレグレイユ次元科学開発地区の中枢として、天帝宮を始めとする各機関の建物を改装し、
研究機関や自治委任組織の集中する区画となっている。

元々龍陽京は、比較的早い段階から国体を為し始めた大和皇国が近隣へ進出した際、
era1以前に中国大陸と俗称された一帯を支配する為に置いた地方自治体の拠点で、
各地区の古称はそのころのものに由来する。
太極府も、当時は『唐土鎮守(もろこしのしずもり)』と呼ばれていた。

しかし、年月を経るに従い、嘗ての久平元首の先祖『劉羽 子墨』率いる小規模国家の連合体が勢力を増し、
唐土鎮守の勢力圏とぶつかって抗争が始まった。
始めは戦闘を有利に進めた皇国方であったが、劉羽の弁舌により日に日に協力者を増やしていく敵勢力に押されて、
最終的には現在の『ヤマト』自治区の領域にまで逆に侵攻されてしまった。

だが、ここに至って、広がり過ぎた戦線の維持を困難と見た侵攻軍の指揮官の上申により、
劉羽は一度兵を引かせ大和皇国と停戦条約を結んだ。
この時、彼は条約の中で改めて奪った領土を確定し、
自らが建国した『上天(シャンテン)帝国』の領土として組み込んだ。
そして、唐土鎮守を現在の『太極府』として再編し、各地区の名前を元の読みから現在の読みに変えた。

以降、上天帝国は急速に内外に力を伸ばし始め、当時の技術で手の届く旧東南亜の諸島群を征服していき、
各諸島群を結ぶ路として巨木大橋の建造を開始した。
更に、これに並行して大和皇国方面への軍備を強化し、南方が治まった頃を見計らい侵攻。
想定外の被害を出しつつも、遂に全域を占領し首都の扶桑城を攻略。
ヤマト自治領として自国に組み込んだ。

この際、彼らは旧世界から多くのものを引き継いだ大和皇国の高度な技術を獲得。
物量頼みの力押しだけでやってきていた軍は強力な武装を持つ様になり、民間にも一気に工業化の波が押し寄せた。
また、それにより発生した空前の好景気は劉羽の諡から『光宗景気』と呼ばれ、
領民の生活レベルは急速に向上し、国は強大な帝国として繁栄を極めた。

しかし、嘗てその地を中心とし、己を『中華』と定義した国々が尽くそうであった様に、
上天帝国も膨張し切った自己の中で少しずつ腐敗が進み、
凡そ百年後に至って、それに対する民衆の不満は反乱という形で大爆発した。

海外の自治領群はおろか、中央政府直轄の龍陽京においてさえ民衆は蜂起し、大挙して政府機関へ殺到、
正規軍の行動前に各省庁を制圧してその行動を抑え、実権を握っていた宰相『項仁 伝武』を捕らえてしまった。
皮肉にも、それを率いていたのは、太極府から遠く離れたヤマト自治領の別荘に
『保養』と称し長らく幽閉されていた皇帝『劉植 儀扇』であった。

項仁を筆頭に宰相派を国外に永久追放し、
自治領と独立を望む地方をそれぞれに独立させる形で帝国に終止符を打った劉植は、
上天民主公国という新たな国を興して、嘗ての世襲制君主に相当する大総統の座に着いた。

そして、独立した国々との間に軍事・経済に関する協定を交わし、
他国……実質的にはソレグレイユユグドラシルの二大巨頭に対して一切の中立を保ち、
永久の平和を実現させるという想いを籠め『久平連合独立同盟』を結成した。

この新たな国家体は、掲げる旗印に賛同する人間の援助やそれぞれの地域の特色を生かした特産品の両大国への輸出、
優れた魔導技術の発達などの様々な要因により、上天帝国を上回る速度で成長。

後には、探検家ゴッヘルザッホによる安全な新航路の発見で開拓が進んだ
シャングリラ大陸のトレジャーハンター達の組合も同盟に加入し、
彼らのノウハウから種々の旧世界遺物の発掘にも成功した。
その結果、ついにはジャッジメントデイ後に関係者が遺したと思われる資料をオルケインにて発見。
これを全世界に公表して、それまでには断片的にしか判明しなかったera1以前の歴史を知らしめた。


しかし、次元科学の復興を旨とするソレグレイユに領内に抱え込む遺跡群の情報を知られたことが遠因となり、
約五十年後の第一次文明戦争で自国の約三十パーセント
……鉱物資源の豊富な満州地方や揚陸拠点として目を付けられた北太平洋の諸島群、
そして旧世界の遺跡が他に比して数多く残る日本列島の本州を占領され、そしてそのまま終戦を迎えた。

劉植の子孫で、その政治手腕から同盟の長となっていた『劉懿 孟台』は、
被占領国の人民の保護の為にソレグレイユへ降り、
(派遣された監視者に束縛されながらも)次元科学開発地区の統治を任された。
残る領土は一時的に、久平魔導人民自治地区としてユグドラシルの保護下に置かれ、
政府が降伏したことで非正規軍となった一部の離脱した久平国防軍と占領を免れた国は、
ユグドラシルの下で祖国奪還の尖兵として動く様になった。

黄金の20年期を迎えると、二大国の経済の合流地点として再び繁栄を迎えたが、
その後勃発した第二次文明戦争では開戦当初から主戦場となり、全国各地で大きな被害を出し続けている。


しかし、その最中にあっても久平の民は希望を失っていない。
この犠牲は、そう遠くない未来の独立に繋がっている筈であると耐え忍びながら、各々が戦っている。