バルバロッサ


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


初代皇帝 バルバロッサ・ジオ・ユグドラシル

当時テオゴニア大陸最大国家であった神政アースガルズ首長国の最高指導者である首長、
第41代神官王マーレイ・バル・アースガルズの五男として生まれた通常種男性で、
旧名はへレン・ユノ・セリス・アースガルズ。

兄四人に加え姉が二人、年上の従兄弟が五人いたが、人間不信であったためか兄弟仲はあまり良くなかった。
また彼のみ母親が他の兄弟とは違っており、彼の母はアースガルズに併合された小国ミズガルズ、
後の嬰ミズガルズ王国の王女であった。

唯一尊敬していた人物である父王の早逝後、まだ年若かったヘレンは傲慢な兄四人の王位継承争いに
いい加減疲れ果て嫌気が差し、そこから逃れるため自ら王宮を去った。
そして友人であったウィルヘルム・ツァン・ロクタスやアンドレアス・レペス・レーサリエスらと
従者を引き連れ、国土の端アヴェンディア―現在のノース・ルーテンシア―に移住した。

しかし、そこで静かに暮らそうとしていた矢先、王都ラスヴァルトから急使が派遣され、
次兄サルトス、三兄ロブレスが長兄ランガスを誅殺し、
これを父王の死とともにヘレンの策略によるものだと主張し、私兵団を率いて襲ってきたという報せが届く。

叛逆者の汚名を着せて自分を殺し、王位に就こうという魂胆が見え見えであったが、
しかし正面からぶつかっては到底勝ち目が無かったため、やむをえず国外に逃亡。
そこでアースガルズが分裂したと思われないように名を変え『ユグドラシル自治王国』を建国した。

そして彼は生活に不満を持つ民から義勇兵を募って国軍を組織し、
執拗に追ってきた兄の私兵団を計略を以って打ち負かし、降伏させ逆にアースガルズとの同盟交渉に利用した。
その後対外的な発言力を少しでも強め、国家の代表であると諸外国に示すために「騎士王」という称号を名乗り、
軍師であったロクタスらと共に、周辺の大国と同盟を結び、時には実力を用い着実に勢力を拡大していった。

また当時は、諸国領は国家の支配が及んでいない無法地帯となっている地域も多く、
凶悪犯罪・魔物被害が多発し、国家間の争いもひたすら散発的な泥沼の殺し合いが続くだけの膠着状態であった。
彼はそういった地域の民の現状を鑑み、統合という形で自らの管理下に引き入れ、
生活を保障すると同時に地域の安定化、人心の掌握を図った。

そしてウルズ川ヘルヘイム城の戦いで旧ソルグレイユを退けたアスガルドを戒ヘルヘイム王国として統合、
最後まで敵対し続けた哭ニヴルヘイム大公国ともアルゼファー氷火山での決戦の後ようやく和解し、
首都をファンタズムと定め、神聖ユグドラシル帝国初代皇帝に就任した。

その後統合した各王国を再独立させ汎イルミンスール統一王国盟邦を設立、さらに軍再編、宗教改革、
都市整備や治安改善など様々な方法でテオゴニア大陸を安定に導いた。
これらは数百年続いたとされる、ジャッジメントデイからera2開始までの暗黒時代の出来事であるため
現存する資料は比較的少なめであるが、「騎士王」を名乗る人物によって書かれた、
しかし本人のものとみてほぼ間違いないとされる手記が現存している。

『バルバロッサ手稿』とも呼ばれるこの手記は全1047部にも及び、
彼が幼かった頃から建国以降に続く状況が詳細に記録され、
学界では現在でも盛んな研究が行われており、『帝祖本紀』という名称で出版もされている。

しかしところどころ不自然に破り取られていたり、途切れているところも存在するため、
各所で捜索も行われているが未だ見つかっていない。

バルバロッサ本人は、このような巨大な帝政国家の開祖とはおおよそ思えない奇妙な人物で、
基本的に温厚で思慮深く多趣味、物好きで柔軟な思考と独特の感性の持ち主である。
しかし一度抱いた恨みは晴らすまで忘れないという一面もある。
兄達や、民を虐げる圧政者が「許せない」のではなく、
純粋に「忌々しい人間の屑」なのだと手記に強調して書いており、
濡れ衣を着せられたことを長い間根に持っていたことが伺える。

人種・階級問わず平等に接する人格者として称えられる一方、徹底した理論派・現実主義者としても知られ、
ただ平和を叫ぶだけの不必要にプライドの高い人間を嫌い、自国・同盟国民の利益の為であれば
敵は徹底的に潰し、思想や宗教すらも利用する。

もちろん実力を行使するのは例外なく相手から攻めてくる危険があり、
しかも説得にも応じない場合のみではあったが、その二面性はガノッサをも上回る。

また王宮時代兄弟中唯一許嫁がいなかったなど女性運は歴代皇帝の中でも抜きん出て皆無だったようではあるが、就任直前ようやく一人の妻セレニアを娶っている。

非常に用心深く、謀略を幾重にも巡らせた上で戦いの度に鎧を変え、
陣中で自ら部下たちを労うことも忘れなかった。
剣や武器は好きだが戦闘はそこまで得意ではなく、どちらかといえば学者・政治家肌の人物である。
帝国の至宝として伝わっている『エクスカリバー』『ガラティーン』などについても、

「私がこの剣を握らなければならない時とは即ち、我が軍が壊滅、敗走し追い込まれた時である。
 先頭に立って率いるのは戦死する可能性の低い歴戦の将軍の役割であり、
 全く戦力になり得ない私が出て行き出会い頭に撃ち落されれば、徒に士気を下げることにしかならない。
 私、もしくは誰かがこれを握らなくて済むよう軍を勝利に、民を繁栄に導くことこそが、
 支配者たる私の責務である」と、剣そのものについてはあまり触れていないため剣の出自も不明。

他にも彼の手記には奇妙な部分が多く、本来ならこういう文書には自らの正当性、
成果を大袈裟に脚色することが多いのに対し、
彼の手記は成果は不自然なほど簡潔、途中で遭遇した諸問題に関してはとてつもなく脚色して書かれており、後世の歴史家を大変困惑させた。

例えばある国との交渉の記録は5ページ程度なのに対し、
自ら地方の小国に交渉に出向いた際変な果物を食べてものの見事に中ってしまい、
腹痛で三日三晩のたうち回った時の日記は10ページ余りにも及び、
その所為で現在その変な果物は『バルバロッサ・キラー』という縁起でもない名を付けられた。

他にも肥溜めに嵌る、大理石の階段から落ちる、泥砂に埋もれ死に掛かるなどということも記されている。
おまけに歴史家に見せることを見越していたのか、
ところどころに「何々の記録は皇帝府の何処の部屋の床下」などということが書いてあり、
それによって発見された文献も多い。

ユグドラシル歴史学会議長エトムント・ベールケは、
「我らが帝祖は真に複雑怪奇なる御仁なり」と述べている。

現在『帝祖』『大帝』などと呼ばれている彼は、現皇帝も「陛下」という呼称を用いるほど、
帝国の民全てに親しみをもって敬われている。
画像の左二つは戦時中、右端のものはユグドラシル建国から数年後のバルバロッサである。


『これを読んだ者は、恐らく私が皇帝であるなどとは誰一人思わないだろう。
 理由は簡単だ。私には誇りが何一つ無いからだ。

 そのおかげで、私は今もこうして、一日中惰眠を貪っていられるのだ』

―――『騎士王本紀』より