ドランクンハート

2005年01月11日(火) 20時49分-バーネット

 「なあ、あんた。あんたはロボットに心があると思うかい?」
隣の―――正確には間に席二つ挟んだカウンター席に座っていた男が何の前振りもなくそんなことを言ってきた。私はとりあえずそれを無視することにした。
出張でやってきた見知らぬ地で、軽く酒が飲みたくなってホテルを出てきたのは三十分ほど前。偶然見つけたこの店は素晴らしいものであった。小さな店ではあったが、落ち着いた内装と静かな音楽によって生み出された穏やかな空間がそこには存在しており、一人でまったりと酒を飲むには最適な場所と言えた。こういった古風な感じはいつの時代でも―――いや街にロボットが溢れ、様々なものが自動化されている今の時代だからこそ良いものなのだろう。その割には客は少なく、六つあるカウンター席にも一人が座っているだけだった。いわゆる隠れた名店というやつなのだろう。運がいい、そう思うと酒の味も美味く感じられた。
声をかけてきた男は私が店に入った時でさえ、すでに相当酔っているようだった。酔っ払いに絡まれて今のいい気分を台無しにされたくない、それが本音だった。同じ社会人として簡単な世間話に付き合う程度ならかまわないとも思うが、さっきの発言は明らかにその範疇を超えていた。水を注された気分を元に戻すため、私はグラスに少しだけ残っていたカクテルを一気に飲み干した。
「おいおい、無視しないでくれよ。あんたロボットの専門家だろう?」
またしても突然なその言葉に私はつい反応して男のほうを向いてしまった。
「いやなに、あんたがさっきからソイツのほうをちらちらと見てたんでな。」
そう言って男の指差した先には一体のロボットがいた。直方体の胴体に移動用のローラーと二対のマシンアームを持ち、胴体の上にトレーを乗せた全長一メートル程度のそれは、二本の腕をうまく使い、無人になったテーブル席の上にある空になった皿をトレーの上に乗せている最中だった。
「別に珍しい型じゃないみたいだしな。多分職業病だと思ったんでヤマかけてみたんだが―――」
その反応を見る限りじゃ当たりみたいだな、そう言って彼はにやりと笑った。生き生きとして人懐っこそうな笑みだった。
酔っている割に鋭い男の観察力に―――顔にこそ出さなかったが―――私は少し驚いていた。彼の言うとおり私はロボットの研究、開発を生業としている。同業者の中には無意識のうちにロボットのほうに目が行ってしまう者がいるのは知っていたが私もその中の一人だったらしい。どうやらただの酔っ払いではないようだ。そう考えを改めてみると、彼の言っていることにも多少興味が湧いた。
「で、どう思う?」
「どうしてそんなことを聞くんです?」
私は質問に答える代わりに彼に聞き返した。
彼の質問に対してたいていの人はノーと答える。確かに人工知能の性能は優れたものとなり、人間と日常会話を交わせるほどになっているが、それはあくまでそうプログラムされているからである。どんなに意思があるように見えようとも、それは所詮プログラムによる産物なのだ。加えて、実は私の専門はそのプログラミングである。実際に作られているのを目の当たりにする人間なのだ。ロボットは便利な道具、そして道具に心は無い。それでも答えをあやふやにしたのは彼がどうしてこんな質問をしてきたかが気になったからである。酔っ払いの戯言ではない、なんとなくそんな気がした。
彼はまたにやりと笑うとマスターにカクテルを二つ注文した。その後、彼はズボンのポケットに手を突っ込み、何かを取り出すとそれをカウンターの上に置いた。取り出されたのはやや旧式のPIDだった。PID、正式名称ポータブルインテリジェントデバイス、自己学習型AIを搭載した、音声入力及び音声による応答が可能な携帯型多機能端末、20年以上前に開発され、現在は生活に欠かせない代物となっている。様々な機能を持つ便利な道具であるが危険性もまた存在する。PIDは定期券のデータから家の鍵の照会データまで様々なデータが収められている、言わば個人情報の固まりのようなものである。PIDを他人の目の前に置くなど子供でもやらないことである。それをあっさりやってしまうのは、彼が相当酔っていることの表れかもしれない。そんなことを思っていると、男が再び話し出した。
「『Alcoholic』ウイルスは知ってるか?」
「ええ」
『Alcoholic』ウイルスとは20年ほど前、PIDが一般的に使用されるようになったころに現れた奇妙なコンピューターウイルスである。これに感染したコンピューターから発せられる文面や音声はすべて、酔っ払いが喋っているような言葉になったという。このウイルスの奇妙なところはこれだけではない。このウイルスは言葉を変換させるだけで、それ以外、例えば何かのプログラムを破壊するといった行為を全く行わなかったのだ。またこのウイルスは一斉に発生したのだが、その日のうちにすべてのウイルスが勝手に消滅してしまったのである。さらにウイルスが消えたコンピューターは全くの正常な状態に戻り、その様子はまるで酔いから覚めるようだったという。ちなみにウイルス本体がすべて消滅してしまったため、犯人は捕まっていない。
「コイツは『Alcoholic』ウイルスに罹ったことがある。」
PIDを軽く叩きながら彼が言った。マスターがカクテルの入ったグラス二つを彼の前へと静かに置く。彼は二つのグラスを持つと私の隣へとやってきて、一つを私の前に置いた。
「どうだい、一つ俺の昔話を聞いてくれないか。こいつはその聞き賃、いや聞かされ賃だと思ってくれ。」
私は肯いてグラスを手元に引き寄せた。財布の中身が多少心とも無いと思っていたし、何より興味もあった。彼は軽くグラスを傾けた後、話を始めた。

「このPIDの中に入ってるAI、イサクって名前なんだがな、コイツは初期型のPIDに入ってたんだ。俺の爺さんが開発者の中の結構偉い人だったらしくてな、初期型のPIDを自分用に一つ持ってたらしい。で、そいつに入ってたAIが今コイツに入ってるわけだ。ま、形見みたいなもんさ。……あんた今変な名前って思っただろう。隠さなくったていいんだぜ、知り合いは皆変だって言うからな。……コイツ、ホントはアイザックって名前だったのさ。けど爺さんからコイツを貰ったとき俺はまだ餓鬼でね、間違ってイサクって名付けちまったんだ。Isaac、イサァク、イサクって具合にな。」
聞いてもいないことまで彼はぺらぺらと喋った。私は何も言わずに聞いていた。
「っと、話が逸れたな。でまあ、20年位前か、コイツが『Alcoholic』ウイルスに感染したわけだ。俺だけじゃなかったな。周りの連中のPIDも結構やられてたみたいだ。で、一斉に妙な言葉を使い出すわけだ。丁寧語だったのがいきなり酔っ払いが絡んでくるような言葉遣いになったんだ、最初はマジでビビったね。しょうがないからサイレントモードにして放っておくことにしたんだ。で、そん時は良かったんだが、家に帰ってからが大変だった。」
いったん言葉を切って、彼がグラスを傾ける。私もそれに習ってカクテルを口へ運ぶ。口の中に広がる味はやや甘めだった。
「サイレントを解いた途端、いきなり喋りだしたのさ。こっちが命令していないにも関わらず、だ。しかも何を喋っているかと思ったら何と説教を始めてるのさ。こっちに向かって、『箝口令とはどういうことだ』だの『目覚まし代わりに使うとは何事だ』だの『もっと丁寧に扱え』だの言いたい放題で説教を続けやがるのさ。いや、あの時は複雑な気分だったなあ。で延々と続くわけなんだが途中からなんか調子がおかしくなってきたんだ。だんだん言っていることが訳の分からないものになって、言葉も途切れ途切れになっていくんだ。最後のほうは一言二言呟くだけでそれも俺の知らない単語ばかりなのさ。でもそん中でも一つだけ聞き取れた言葉があったんだ。『自由になりたい』、コイツはそう言ったのさ。」
彼が再びグラスを傾ける。
「で次の日になってみたら全くの元通り。勝手に喋りだしたりもしないし、妙な言葉も使わない。昨日のことを聞いてみてもメモリーに無いと言いやがった。気になって知り合いの中で『Alcoholic』にやられたやつに聞いて回ったんだが、勝手に喋りだしたなんてことは起こらなかったらしい。皆して俺の妄想か幻聴だと言いやがった。けどな、俺はあれが妄想や幻聴の類のようにはどうしても思えないんだ。あれがコイツの心から発せられた言葉のような気がしてならねえんだ。自分を縛っているプログラムっていう鎖から開放されたいってな」
再度言葉を切り、彼は私のほうを向いた。
「これで俺の昔話はおしまいさ。………で、専門家としてはどう思う?」
私はカクテルを口に含んだ。正直なところ私は答えあぐねていた。理論的に考えれば彼の思い違いであるという答えが出る。『Alcoholic』ウイルスに関する報告書を興味本位で読んだことがあったが、その中には彼が言うような現象は記されていなかった。だが別の考え方もある。『Alcoholic』ウイルスはすべて消滅してしまったとされるゆえ、どんなプログラムが組み込まれていたかは明らかになっていない。『Alcoholic』ウイルスはウイルスではないという説を唱えるものもいたという話を聞いたこともある。あるいは『Alcoholic』ウイルスの中で突然変異が発生したという考え方も可能である。だが、いくらなんでも非現実的すぎる。内に眠るロボットの心を引き出すウイルスなど、安っぽいSFの世界の代物である。しかし、彼の口調、彼の表情は真剣で法螺話や笑い話をしているようには見えなかった。二択でしかない問題だったが私にはどうしても答えが見つからなかった。私は彼から顔を逸らしたままもう一度カクテルを飲む。彼もカウンターの方に顔を向けるとちびちびと飲み始めた。
私と彼は互いに一言も発さず、ただゆっくりと飲み続けた。ゆったりとした音の調べが、人気の無い店内を静かに包んでいる。沈黙は互いのグラスが空になってもしばらく続いていた。

コツ、という静かな音がした。知らず知らずに下を向いていた顔を上げ、音の方へ目をやると、そこには二つの空のグラスと円筒状の物体を持ったマスターがいた。私たちの目の前でマスターが円筒を振り始める。愛でる、慈しむ、そんな言葉が似合いそうな振り方だった。シャカシャカと心地よい音が奏でられる。
シェーカーの演奏を終えたマスターは、中の液体を二つのグラスに注ぎ、私と彼の前に一つずつ置いた。彼のほうを見るが、彼も不思議そうな顔をしていた
「マスター、俺は頼んでないぜ?」
「私も頼んでいません。」
「お二方、これは私からの奢りですよ。面白い話を聞かせていただいた、その聞き賃だと思ってください。」
穏やかで静かな微笑を顔に浮かべながらマスターはそう答えた。そして、彼のほうに顔を向け、言葉を続ける。
「いえね、私はロボットに心があるんじゃないかと前々から思っていたんですよ。ですから今の話を聞いて嬉しくなってしまいましてね。」
彼にそう告げた後、今度は私のほうを向いた。
「貴方は、ロボットは、AIは金属の塊だ、だから心なんか在るはずが無い、そう思っているのではありませんか?」
マスターの口調は柔らかだった。
「私は学の無い人間ですから難しいことは分かりません。けれども、もし金属だからという理由でしたら、それはどうかと思うのですよ。人間の脳だって炭素、炭で出来ているんです。それでも私達は確かに心を持っています。炭で出来たものに心が在るのなら、金属でできたものにも心が在ってもいいのではないか、私はそう思うのですよ。」
屁理屈みたいなものですがね、とマスターは最後に付け足した。
私は何も言えなかった。視界の端で彼がグラスを持ち上げるのが見えた。マスターの視線から逃れるように、私もグラスの中身を口に運んだ。今度のカクテルは少し苦めだが、喉越しの良いすっきりとした一品だった。
「美味い。」
彼が呟く。私も首を振って賛同する。マスターの笑みが深くなった。
「それは良かった。実はこのカクテル、最近試しに作ってみた、まだメニューに載せていないオリジナルなんです。お客さんの反応が知りたかったんですが、どうやら上々のようですね。」
「なんだい、マスター。人が悪い。」
彼は苦笑いを浮かべ、再びグラスに口を付けようとして、ふと思い出したように口を開いた。
「なあ、マスター。このカクテルなんて名前なんだ?」
「まだ名前は無いのですが……、そうですね……」
マスターは思案するようにしばらく下を向いていたが、
「では、先ほどの御話から頂いて、『 酔っ払いロボットの心 』、ドランクン・ハートというのは如何でしょう。」
私たちのほうへ向き直ると再び顔に微笑を浮かべそう言った。
「ドランクン・ハートか。悪くねえな。」
「ええ。いい響きです。」
「それじゃ、ドランクン・ハートに乾杯と行くか。」
私と彼は再び顔を見合わせ、グラスに手を伸ばし、たった今命名されたカクテルの入ったグラスを交わした。

結局のところ、答えは見つからなかった。いや、最初から答えなど無かったかもしれない。誰も答えを知らない問いに正解は存在しない。
上機嫌に飲んでいる彼の後ろを、トレーの上に皿を乗せたロボットが通り過ぎていくのが見えた。その動作は整然にして無機質で、そこに何らかの意思を感じ取ることは出来ない。誰も知らない答えを知っているかもしれないソレは何も語らない、否、語れない。とりあえずこれからはもう少し大事に扱ってやろう。ソレの去り行く姿を見ながら、そう思った。


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・特に重点的にチェック(指摘)してもらいたい部分。
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(                 )

・この作品で、いちばん書きたかった「もの/こと」
(                 )
第三回泡投稿作。お題は「酔っ払ってだんだんおかしくなる」。酔っ払っているのは人工知能の方。「だんだん」の要素が無いところは大目に見てください。
 

最終更新:2014年03月18日 13:50