真実の証人~チョコレィトが世界を争いに導くまで~

2013年02月10日(日) 21:48-鈴生れい


これはまだ私が若かりし頃の話だ。
自分で言うのも恥ずかしいものだが、かつてあったヴァレンタインデーという風習にのっとり、私は16歳の2月14日、多くのチョコレィトをもらっていた。
ああ、多くは義理だったよ。交友関係が広かったものでね。当時は『友チョコ』と呼んだものさ。いや、そんなことはどうでもよいか。
しかしヴァレンタインデーと言えば、貰えば勝ち組、貰えねば負け組と言う風潮でね。いくら義理とはいえ嬉しいものだったとも。私は甘いものが大好きだからね。
だが、世の中そんな人ばかりではないのだよ。たとえばヴァレンタインデーにチョコレィトを貰えない男共もいた。彼らは貰える者を羨み、時には声にならぬ慟哭を上げ、時には失墜のあまり膝から崩れ落ちた。
彼らは、チョコレィトというよりはヴァレンタインデーに女の子からプレゼントをもらうということに執着していた。別にもらうものはクッキィだろうが手編みのマフラだろうが、最悪市販の安いチョコレィトだろうがなんでもよかったのだ。
私がこれから語るのは、そういった者たちではない。ヴァレンタインデーではなく、チョコレィトに執着し、徹底的にチョコレィトを駆逐、撲滅しようとした悲しき男の話だ。

「ちぇぇ、また今年も母さんからだけだぜ」
「んじゃオレの勝ちだな。姉貴からもらえるから」
「家族からなんてノーカンだろ、ふざけんなよ」
「そういうお前は・・・・・・ごめん、睨むなよ」
私が16歳の2月14日。私の通っていた学校では、多くの貰えぬ男子が発生していた。日本国における平均的な公立高等学校であったが、何しろ近くに私立高校があって、恰好の良い男子というのは、通常彼らを指していたのだ。
あるものは茶髪に染め、あるものは装飾品を身に付け、少し背伸びをしたがるのが当時の若者の流行りだったが、私の高校ではそういった行為は禁じられていた。
というよりも、あちら方が少し風変りだっただけだ。あまり生徒の生活に口出しをしない校風だったらしい。それでもそのおかげで彼らは世間一般の男子生徒よりもアドヴァンテージを保持していた。
そういった理由があって、私の高校では貰えぬ者が多かったのだ。特に本命ともなれば余程のことがない限り無理だった。
「おい、お前はどうだったんだ?」
放課後になり、閑散としてきた教室の中で帰り支度をしていた私は、あまり馴染みのない生徒に話しかけられた。
一見して、全く特徴のない男子だった。長くとも短くともない黒い髪と、黒縁の眼鏡、後はこの高校の詰襟制服。この学校には優に五十はいるだろう風貌である。
同じクラスだったので、名前は把握していた。諸君が必ず知っている名前だ。あまり意味はないが、一応伏せておくことにしよう。彼にも尊厳というものがある。
不便だから権兵衛と呼ぼうか。権兵衛はクラスの中で目立ちもしないし、かといって隅っこで肩身狭く座る生徒でもなかった。今思えば、能ある鷹は爪を隠していたのかもしれない。
「どう、って?」
「今日の収穫だよ。確かお前、モテるんだろ?」
モテるというのは女の子から好意を寄せられやすいということだ。私はモテていたのではなく、単に異性の友達が多かっただけなので否定した。
するとどうやら謙遜と取られたらしく、権兵衛は不快感を顕わにしていた。
「嘘つくなよ、めっちゃもらってただろ」
貰うことがすなわち女性人気が高いということではないはずである。頭ごなしの断定に少し腹が立ったが、よく知らぬ彼を突然責め立てるのも気が引けたので沈黙した。
彼は私の沈黙をどうとったのか知らないが、少なくともあまり好意的には受け取らなかったようだ。
「まあいい。それで、中身はどうだったんだ?」
はて、と当時の私は首を傾げた。何しろその日はヴァレンタインデー。貰うプレゼントと言えば一部を除いてチョコレィトが主流だろう。
わざわざその中身を尋ねるというのはどういう意図の下なのか、見当もつかなかった。それよりも先ほどからの上から目線な物言いを腹に据えかねていた私は、早くこの会話を終わらせたかった。
特に確認はしていなかったが、全てチョコレィトだろうと答えた。多少ぶっきらぼうだったかもしれない。
そしてこれが後に、この国を震撼させる大事件の引き金となった。当時の私は知る由もなかったことだが。
私の答えに、彼は衝撃を受けていたようだった。それも単純な衝撃ではない。予想していたことが的中してしまったという衝撃に見えた。
途端に彼は閉口し、視線を俯け私の下から去っていった。去り際に彼が呟いた言葉が、私の中に深く刻まれている。
「やっぱり、チョコレートをやるしかない」
当時の私はその言葉の意味を知る由もなく、ただ首を傾げるばかりであった。

時は流れて私が29歳の時だ。その頃の私はと言えば大企業に就職して日夜仕事尽くめの日々を送っていた。十数年前の些細な出来事など思い出す暇もなく、いつも仕事に追われていた。
その甲斐あってか結婚は数年前にしていたし、年収もそこそこのもので暮らしぶりには困っていなかった。就職難と呼ばれた時代だったし、仕事があること自体有り難いことだったんだよ。
その当時、世間では一種の都市伝説じみたものが流れていた。秘密結社『反チョコレート同盟』の存在だ。
『反チョコレート同盟』の名の通り、彼らはチョコレィトを毛嫌いし、この世から抹殺を図ろうとする秘密結社で、その詳細は謎に包まれていた。そもそも存在自体が都市伝説で、一部のチョコレィト嫌いの人間から信奉されていた程度だ。
しかし、噂は唐突に現実のものとなった。
その年の2月1日未明、全国に点在する各製菓会社のチョコレィト工場が爆破されるという事件が発生した。このことがマスメディアで報道された途端、都市伝説は一気にその存在感を膨張させたのだ。
実行犯たる爆弾を設置した若人たちはすぐに逮捕された。だが彼らはその工場に勤める者たちで、爆弾を渡されただけだと供述していたらしい。
この事件に関するある考察がある。要約すると、
「2.1爆破事件の犯人――世間では『反チョコレート同盟』と呼ばれているがそれはさておき――は工場に勤める者の心理状態をうまく利用したのかもしれない。
資本家から過剰に搾取され続け、ストレスを溜め続けていた工場員(特に若者)の反感は必然的に工場へ向かっただろう。
犯人は彼らの反感の後押しをしてあげただけなのだ。そのため実行犯は捕まり、計画した真犯人は未だ日の当たらない場所にいる」
今から見れば、まさしく正鵠を射ていたといえよう。『反チョコレート同盟』のやり口は狡猾であり、決してその尻尾を誰にも捕らえさせなかった。
この事件を境に、彼らの信者たちも数を増していった。時期も時期であり、今まで負け組の烙印を押されていた貰えぬ男たちが一斉に仰ぎ始めたのである。
通勤電車や新聞の中で、私も「バレンタインデーを廃止せよ」と書かれた声明を何度か見かけていた。これも『反チョコレート同盟』の策略だったのだろう。
この一連の事態で大打撃を受けたのは、言うまでもなく製菓会社各社である。自社工場を爆破され、圧倒的なチョコレィトの供給不足に陥っていた。
2月14日と言えば当時一番のチョコレィト商戦だった。それがなくなれば、施設の破壊に加えて大幅な減収は避けられない。しかし2月1日に爆破されてしまった設備をたった2週間で復興するのは不可能だ。
『反チョコレート同盟』は、一斉に彼らの不況を買った。それも尋常ではない怒りだ。各社は本腰を入れて『反チョコレート同盟』の実態を突き止めようとした。
それでも『反チョコレート同盟』は影も形もなく、ただ噂だけが流布し、人々を惑わせるだけであった。チョコレィトを輸入している貿易会社が次の標的だという嘘も流れたことがあった。
そしてひと月が過ぎ、半年が過ぎても、犯人は捕まらなかった。一時期は過熱していた信奉者も、ヴァレンタインデーが過ぎてからは当初の目的を果たしたこともあって沈静化し、世間は『反チョコレート同盟』のことを忘れつつあった。
明けた1月、招集された国会にて稲妻のごとくある法律が採択された。
これが今に伝わる『チョコレィト内乱』――別名『第一次チョコレィト紛争』を勃発させた原因であった。
法律の内容は、諸君らが教えられたとおり、そう、「チョコレィト申告制」だ。

「チョコレィト申告制」とは、年間に食したチョコレートの量の概算を申告しなければならないという制度だ。
前年の工場爆破を重く見た政府が対策として導入したと言われているが、実際のところ製菓会社からのなんらかの圧力があったと捕らえてしかるべきだと私は思うよ。
何しろ反対意見を無理やり押し切った割に導入が遅かったからね。かの事件からほとんど1年が過ぎてからだ。なんの対策も講じようとしない政府に製菓会社たちが業を煮やしたのだと思うよ。
閑話休題しよう、この制度の問題点は考えるまでもなく、個人の嗜好に政府が介入しているところだ。いくら工場爆破の犯人を見つけるためとはいえやり過ぎではないかとの声が多かった。
実際チョコレィトが嫌いな無実の人たちはいい迷惑だし、一度誤認逮捕が生じたこともあった。とにかく、チョコレィトが嫌いな人間が不当な扱いを受けたのだ。
そしてついに、『反チョコレート同盟』は動きを見せた。なりを潜めていたのは制度が導入されてから3年間だけで、すぐに大きな報復へと打って出た。
私が33歳の2月14日、都心で壮大なデモ活動が決行された。不遇であったチョコレィト嫌いな人間によるチョコレィト破壊活動だ。
目に映る全てのチョコレィトを略奪し、ごみ袋に突っ込んで焼却した。警察による介入も空しく、彼らは政府や製菓会社の予想を遥かに超えた規模でデモを続けた。
その理由として、若者以外に『反チョコレート同盟』に加担した人々が存在したことが挙げられる。「チョコレィト申告制」に憤り、裏で手を引いた製菓会社、ひいてはチョコレィトそのものを敵と見なした人がいたのも事実である。
あるいはただ国内ではかなり珍しい大規模な活動に便乗したという人もいただろう。日頃どれほどストレスを溜めていたのか、図らずとも公になったわけである。
デモ自体は流石に三日もすれば疲労により沈黙した。しかし『反チョコレート同盟』は着々とその影響力を強めていったのだ。
都心でのデモが終わると、今度は地方でチョコレィト撲滅運動が展開された。こうしてこの国からチョコレィトは徐々に掻き消え始めていったのだ。
ちなみに私はというと、子供を一人授かり、世間のごたごたなんてどうでもよかった。権兵衛のことなど、完全に忘却の彼方だったよ。

第一次チョコレィト紛争は、製菓会社が大打撃を受け、「チョコレィト申告制」を取りやめることで終戦した。実質的に『反チョコレート同盟』の勝利だろう。
チョコレィトもその打撃のせいでブームが過ぎ去ってしまい、ヴァレンタインデーの風習も国内では大分薄くなっていた。プレゼントの選択肢がチョコレィト以外にも広がったのだ。
それから十数年が過ぎ、私は50歳になっていた。企業の幹部にまで昇進し、子供も大学生になって手がかからなくなっていたから、少しずつ自分を振り返る余裕ができてきた。
一時期は世論をかっさらっていった『反チョコレート同盟』も終戦してからはまたしても存在が立ち消え、都市伝説へと戻っていた。
穏やかな日々の中で、私はふとある可能性へとたどり着いた。高校を卒業してから早32年、権兵衛のことを想起していたのだ。
あの得体のしれぬ少年が、実は『反チョコレート同盟』の一員である可能性だ。権兵衛が呟いた言葉から察するに、彼はチョコレィトが大嫌いだったに違いない。ならばそう考えるのも自然だ。
そう思い至った私は、久しぶりに同窓会を訪れた。権兵衛と話をするためである。
正直淡い期待ではあったし、今更どうでもよいことではあったので彼が来ようが来なかろうがどちらでもよかったのだが、意外なことに権兵衛は同窓会に現れた。
かつての線の細い少年の印象は跡形もなく、肉体労働でもしているのか、鍛え上げられた筋肉と古傷が彼の容姿を豪胆たらしめていた。
意を決して、私は権兵衛に話しかけてみた。
「おお、久しぶりだな」
彼の笑顔に屈託はなかった。世間話をしてみても、かつての粗野な物言いはなりを潜め、良識のある話し上手に変化していた。
疑うのは失礼かとも思ったけれど、年のせいもあってか一度決めたことを変えたくはなかった私は、彼を店の裏に呼び出してそのことを問うてみた。
すると、彼の目がほんの一瞬すっと細まった。笑顔は崩れていない。しかし私はその変化を見逃さなかった。彼が『反チョコレート同盟』になんらかの形で関与しているのはほぼ明らかだ。
のらりくらりと私の言葉をかわし続ける権兵衛の眉間に、少しずつ皺がより始めた。どうやら問い詰められて苛立っているらしい。なおさら図星のようだ。
そして私が改めて尋ねてみると、彼はそれまでの笑顔を一旦消し、うっすらと陰のある笑みを浮かべた。ぞくりと私の背筋に悪寒が走ったのを鮮明に覚えている。
「お前は、何故チョコレィトがあれほど流行していたのか、考えたことがあるか」
私が素直にかぶりを振ると、彼はふんと鼻を鳴らした。高飛車な話し方がよみがえっていた。
「あれは製菓会社の陰謀さ。当時から言われていただろう。彼らの商戦にうまいこと乗せられていただけなのさ」
そういう話は学生時代に何度かした覚えがある。大体はその場の雰囲気に流されて、あるいは若者特有の批判的な態度に任せた非難であり、だからどうこうと深く考えたことはなかった。
チョコレィトだろうとクッキィだろうとマフラだろうと、異性からもらえるプレゼントというものは嬉しいのである。ヴァレンタインデーそのものをなくそうだなんて思いも寄らなかった。
それがどうかしたのかと私が尋ねると、彼は激昂して叫んだ。
「ふざけるな! 何故あんな凄まじい臭気を学校中でまき散らされねばならんのだ! ものだけではない、食べた後の口臭はこれでもかというほどだぞ!
あんなもの目にも入れたくないわ。触るのもおぞましい。増してや何故口に放り込まねばならぬ! 貰えば強制的に口にさせられるのだぞ!」
彼はそれからも、チョコレィトについての彼の感想を言い放ち続けた。分かったことはただ一つ、彼は心底チョコレィトが嫌いなようであるということ。
一通り語り尽くすと、彼はまた微笑を浮かべた。
「私はこの世からチョコレィトを、あの汚らしい物質を消滅させることを誓ったのだ。今は世間で表立たされてはいないが、世界中でチョコレィトの生産ラインにストップをかけている。
いずれその夢が現実となる日も近いぞ!」
口ぶりから察するに、どうやら彼が『反チョコレート同盟』の首領のようだと悟った。私の推理も捨てたものじゃなかったが、それどころでもなかった。
私は彼を説得することに決めた。そして失敗した。何しろ何十年間も願い続けていた夢が目前に迫っているこの状況で、彼が止まるはずがない。
それでも私も折れたくはなかった。チョコレィトは比較的好きな甘味類だ。なくても生きてはいけるだろうが、ある方がいいに決まっている。
栄養価が高く、カロリーもあるため非常時に有用であるし、様々な洋菓子や和菓子と掛け合わせることができる。可能性を秘めているのだ。
「今更お前の言葉など聞き入れるわけがあるまい。私はこの命に代えてでも、この世からチョコレィトを撲滅してやる!」
通報、私の脳裏にその言葉が浮かんだ。私の技量では彼を止めることは出来ない。体に訴えることも、彼の強靭な肉体を見る限り不可能だ。
国家機関に連絡して善後策を講じてもらうぐらいしか、当時の私にできることはなかった。
その考えを見越したのか否か、彼は私に襲いかかってきた。どんと突き飛ばされて私は尻もちをついた。腰痛持ちだったため、その衝撃が腰に響いて立てなくなってしまった。
彼は私に馬乗りになり、その太い両手の指で私のか細い首をきゅうと締め始めた。窒息はおろか、首の骨ごともっていかれかねないほどの握力だった。
私が今こうして諸君らに話ができているのは、その時にたまたま近くを巡回していた警官たちが助けてくれたからだ。
権兵衛はその場でひっ捕らえられ、実に約20年かかって『反チョコレート同盟』の頭がもぎ取られたのである。
そしてこのことを発端に始まったのが『チョコレィト戦争』――通称『第二次チョコレィト紛争』だ。
詳しい経緯は不明だが、権兵衛はたった一人で世界を股にかける組織を形成し、裏社会へと身を投じていた。『反チョコレート同盟』がうまく立ち回ってきたのは彼がいたからこそだった。
その首領を失い、『反チョコレート同盟』はその実態を白日の下へと晒された。その彼らが最後の抵抗を行ったのが『第二次チョコレィト紛争』である。
これまたその規模は世界各国の予想を遥かに超えたものだった。彼らは大量の兵器を所持し、徹底抗戦の構えを見せたのである。抑える必要がなくなった彼らは各都市で徹底的な破壊活動を開始した。
この頃、ある科学者がかような論文を学会へと提出していた。日常的にチョコレィトを食す人間は、食べない人間と比べて頭の巡りが悪いというものだ。それはチョコレィトが脳内に快楽物質を生み出すからだとも、虫歯による治療時間が長いからだとも言われている。
正しいか正しくないかは未だ判然としていない論文だが、これを用いると当時の異常事態をしめすことができる。彼らはチョコレィトを食べない分頭の巡りが速く、食べている人々を出し抜いてあれだけの武器を揃えたのだ。
ついには戦闘機まで投入され、世界は混乱した。実は軍隊の中にも『反チョコレート同盟』の人間が存在し、他の軍人を出し抜いて破壊活動を行っていた事例がある。
当然国内も混迷を極め、最早誰が味方で誰が敵なのか分からない状況に陥っていた。疑心暗鬼がはびこり、信用から成り立っていた全てのものが壊れていったのだ。

そうして今に至るというわけだ、諸君。今のこの戦争状態はあの逮捕から始まっているのだよ。
そうだ、私は二回、権兵衛に――・・・・・・に対応する手段を間違えた。あの時私が適当に彼に返事をしなければ、彼を追い詰めさえしなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。
諸君ら未来の世代には本当にすまないことをしたと思っている。さあ、遠慮なく罵倒を浴びせてもらって構わない。
命をもって償うことができるなら疾うにそうしているところだが、今更この老いぼれの安い命でどうこうなる問題でもないからな。私はこうやって諸君ら若い人たちに真相を語っているのさ。
そうだ、手土産にこれを持ち帰るといい。滅多に見かけないものだろう。
この茶色の輝きを放つこれが、チョコレィトだ。


END

 

 


せっかくヴァレンタインデーが近いので、ヴァレンタインデーに関係したことをと思ったらこんな話に。すっかり物騒になってしまいました。

どれだけそれっぽく書き上げられるかどうか挑戦してみました。無茶苦茶なりに筋が通っているっぽく思われたら幸いです。

最終更新:2014年03月17日 19:25