もう一人の彼女の真実(前編)

2013年06月07日(金) 23:00-鈴生れい

※この作品は「彼の選択(『泡vol.12』掲載)」、「彼女の憧憬(『泡vol.13』掲載)」の補完的作品になっております。先にそちらを読まれることを推奨いたします。


峰川真子は、濱中望が好きだった。
ホントは小学生の頃からずっと、彼が好きだった。彼女がその気持ちを自覚したのは、望が彼の幼馴染を好いているということに気付いた後だった。
幼馴染の名前は藤浦友香。真子の友達だった。気が強くて、意地っ張りで、でも優しい、真子にとって誇るべき友達だった。
真子にとってそれは大変なことだった。望を好きだという気持ちに偽りはないし、友香を大切に思っていることにも嘘はない。望が友香を憎からず想っていることを嫌だと思っても、当然だという考えが頭の中に浮かんでくる。だって友香はすごいから。可愛いし、運動できるし、怖いものなんて何もないってくらい、友香は強かった。
一番問題だったのは、友香も望のことを大切に想っていると分かってしまったことだ。真子は他人の気持ちに敏い。友香自身が気付いていない気持ちだって、真子には分かってしまった。
真子は友香を裏切れなかった。他に友達はいるけど、友香と疎遠になってしまうのは、望と結ばれないことよりも嫌だった。仕方ない、このまま諦めよう。そう思っていた矢先のことだった。
別の私立校に進んでいた真子に、公立高校へ進んでいた友香の下へメールが来た。「どうしよう、最近なんか変なの」という内容で、真子は慌てて友香と会う約束を取り付けた。大切な友香に、何か取り返しのつかないことが起きたんじゃないかと気が気でなかった。
実際はそんなことではなかった。友香は水泳部の先輩に恋をしていた。それを友香は恋と気付いていなかった。真子から言わせてもらえば、友香は鈍い。自分の気持ちにも、他人の気持ちにも。でもそこが良いところだと真子は思っている。
真子は素直に友香に言った。「友香、その先輩のこと好きなんじゃない?」
友香の反応は、思わず真子が噴き出してしまうぐらい、あまりに滑稽だった。うえっと変な声を上げたと思ったら、慌てて立ち上がって卓上のアイスティーをひっくり返してしまい、真子の知っている強い友香のイメージとかけ離れすぎて真子は笑ってしまった。
不貞腐れる友香に、真子はほんの少しの下心を以てこういった。
「応援するよ、友香!」
それは、真子にとって願ってもないチャンスだったからだ。初めて、あの二人の間に隙ができたように見えたからだ。中学時代、友香と望は疎遠に見えたが、真子はただ望が気恥ずかしさから避けているだけで、実質何も変わっていないことは理解していたのだ。
しかしチャンスと言っても、真子にできることは少なかった。何せ望とはほとんど面識がないし、直接友香に頼んだら気持ちがバレてしまい、下手すれば友香に望への気持ちを自覚させてしまう結果になりかねない。

初めて望と二人きりになったのは、友香の学校の文化祭のときだった。友香に誘われて、行った先で望と一緒に出迎えられた。友香は途中で水泳部の用事で抜けることになり、望と二人で見て回ることになったのだ。
初めは、お互いほとんど知らない相手同士だし、会話に詰まっていた。全く知らないわけではないが、同じ高校じゃないし、今更話題も少なかったのだ。
しかしこのまま息苦しい時間を過ごすのは真子には耐えられなかった。真子はとにかく話題を探して、思い至ったのは友香の話題だった。
「友香、最近どうなんですか?」
情けない話だが、真子にはいきなりため口を利けるほどの勇気はなかった。望は首を傾げた。
「さぁ、僕はあまり友香と話さないからね」
真子にとっては朗報だったが、今はそれどころではない。これでまた話題がなくなってしまう、と焦る真子。大慌てで新しい話題を探そうとする真子に、望が少し不思議そうに声を掛けた。
「あのさ、同じ中学だったんだし、敬語要らないよ?」
「あ、えーと、うん、そうで、そうだね」
何度も噛んでは言い直す真子に、望は少し笑った。初めて自分に向けられた優しい微笑みに、真子の心臓がどきんと跳ねる。と同時に恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
「顔赤いけど、大丈夫?」
「う、うん、全然平気!」
それを指摘されてさらに頬の赤みが増し、まるで茹蛸のようだった。真子はなおも首を傾げる望に、学校の中を回ってみないと提案した。望も行先には困っていたようで、提案に乗ってくれた。
それから色々巡って、真子と望は大分打ち解けた。元々性格が似ているような面もあり、話が合いやすかったのである。焼きそばを食べ、クイズを解き、演劇で感嘆を上げ、お化け屋敷では望の手にすがろうかと思ったが、わざとらしいのでやめておいた。
友香との合流時間になっていた直前、真子は意を決して望に頼んでみた。
「あ、あの、メアド、交換しない?」
「メアド? ああ、いいよ」
望の返事は簡単だった。あっという間に、真子は望のメアドを手に入れた。この時の真子は天にも昇る気分であった。

真子は望と頻繁に連絡を取るようになった。望も返信こそ遅かったが、しっかり返してくれた。メール越し、画面越しではあったけれど、確実に真子と望との距離は近くなっていった。
真子は当然ながら友香とも連絡を取っていた。友香の恋愛がどうなったのか聞かなければならないし、単に友香の様子が気になったからでもある。友香の方も着実に先輩との距離を縮めているようで、一緒にご飯を食べに行ったりしているらしい。真子は安堵しきりだった。

全てがおかしくなったのは、友香が亡くなってしまったときだ。望からそのことを聞いた真子は、頭が真っ白になってしまった。止まらない涙を無理やりにせき止め、葬式に行くと、涙に暮れる友香の両親と、沈痛な面持ちで顔を伏せている望がいた。しかし真子は望に話しかけられるような精神状態ではない。真子自身、突然大切な友達を失ってしまった悲しみの行き場をどうすればいいのか分からなかった。ましてや友香をずっと想っていた、そうでなくたって十七年間隣にいた友達を失った望の悲しみを、真子はどうしてあげればいいのかさっぱり分からなかった。
死に化粧を施され、眠っている友香を見たとき、真子は危うく貧血で倒れてしまいそうになった。近くにいた人に支えてもらい、なんとか倒れるまでは至らなかったものの、何も考えられない。まるで世界が終ってしまったかのような錯覚さえ感じた。あまりに、唐突なおしまいだった。

真子は悩み続けた。何をしても空虚でしかなく、無味乾燥でやるせない。高校の中でキープしていた成績も、友香が亡くなってから一気に下がり、両親からも担任からも心配された。それでも真子はどうすればいいのか分からない。泣いても喚いても手に入らないものにどう対処すればいいのか、真子は失意の中にいた。
その真子を助けたのは、望だった。望は、実のところ早々に立ち直っていた。むしろ何か吹っ切れたような、そんな雰囲気さえ感じた。却って真子の方が、心に空いた喪失感をどうすべきなのか悩んでいるぐらいで、彼にとって友香の死は既に昇華されたものとなっていた。
望は時々真子の家を訊ねるようになった。彼の善意は同じ悲しみを抱えた真子を優しく包み、真子は夏休みに入ろうかというところでようやく元の生活へと戻ったのである。
それから真子と望は折に触れて会うようになった。元水泳部である望を引き連れて市民プールに向かったり、一年前と同じように文化祭を巡ったり、友香という絶対的な障壁がいなくなったことで、真子の望への想いは強まるばかりであった。
しかし真子は望と一緒にいる中で気付いていた。望は確かに自分を見てくれている。けれど、その心の中にはいつも友香がいる。彼女は亡くなって尚、望の心の大事な部分を占めていた。
冬頃になると、流石にお互い受験勉強で忙しくなり、会う機会も減っていった。望は友香の憧れだった先輩と同じ大学を目指しているらしく、勉強に打ち込んでいた。その望に余計な手間を掛けさせたくないと思い、真子は自分の気持ちを伝えることはなかった。望と会わないことで自分の気持ちが落ち着かないかと願ってみたが、小学校から筋金入りの想いである。そう簡単に治まってはくれず、真子は何度携帯を手に取ったか分からない。真子は自分の臆病さに辟易しながらも感謝していた。

限界が来たのは、大学入試が終わった直後のことだった。数年来、積もりに積もった想いを、真子は望へと打ち明けた。望から友香がいなくなっていないのは百も承知、しかし真子は打ち明けざるを得なかった。弾けんばかり、堰切ったように流れ出る言葉を、望は静かに聞いていた。溜めていたこと全てを吐き出して、真子は沈黙した。
やがて、望の口から飛び出した言葉は――
「――ごめん」
それきり、真子は意識を失い、その場に倒れ伏したのだった。


――貴女に、もう一度チャンスをあげる。

朦朧とした意識と、昏く閉ざされた視界の中、ただその声だけが頭の中で反響した。

――それは貴女にとって良いこととは限らないけれど。

細かい意味までは分からない。その声は粛々と言い続けた。

――もし貴女にやり直そうと思う意思があるのなら。

ぼんやりした思考が、徐々に意味を成していく。その中で、その声は一際大きく響いた。

――その眼をもう一度開きなさい。


不思議なことが起こった。
真子は自室のベッドの上で横たわっている。西向きの窓から入る陽射しの色は橙。自分はただ昼寝から目覚めたのだと思った。
まず変だと思ったのは、自分の服装だった。高校の制服ではない。中学時代に着ていたセーラー服だった。ご丁寧に胸ポケットには中学三年生当時使っていた生徒手帳が入っている。今はもう押入れの奥深くに仕舞っていたはずだ。
ベッドから起き上がってみると、なおさら不可思議な光景が目に移った。勉強机には中学三年生の時使っていた教科書はずらりと並び、そのすぐ隣には中学校指定の学生鞄。他にも中学当時の競泳鞄もあり、まさかと思って押入れの中を開けてみれば、今ではもうセンスに合わない、昔着ていた洋服が顔を覗かせていた。
慌てて携帯を探すが、どこにも見当たらない。壁にかかっている月捲りカレンダーには、十一月の文字。その年は今から三年度前であった。
ようやく真子は自分の身に降りかかった事態を悟った。自分は過去に来てしまった。それもまだ高校に入る以前、中学三年生の十一月。友香が亡くなる――三年前へ。
ならばやることは一つだった。あんな未来、変えてしまえ。絶対に、友香を死なせたりしない!

友香の死因は交通事故だと聞いていた。日にち、時刻も聞いたが、これから過去を変えていく以上変動が起こるかもしれなかった。とりあえず友香の近くに行くしかない。そしてなんとしても友香を救うのだ。加えて、真子は友香と叶野先輩をくっつけようと画策していた。
真子の動きは大胆だった。まず私立高校志望だったのを急遽公立高校に変えた。行先は当然、友香や望と同じ高校である。両親や担任には驚かれ反対されたが、真子は貫き通した。
元々真子の学力は望や友香より上だったのに加え、今の真子には大学受験レベルの知識が備わっている。高校入試は楽々と突破し、いざ高校へと再入学した。万が一、と危惧した友香や望の不合格もなく、ことは順風満帆だ。
真子はとりあえず水泳部に入った。友香にべったりくっついていたいのは山々だが、それでは鬱陶しがられてしまうし、友香が叶野先輩と会う機会を潰してしまうことになっては一大事だ。とにかく友香も入るであろう水泳部で待ち構える形をとった。
友香は予想に反してすんなりとは入部しなかった。あちこち体験入部を繰り返しては熟考していて、真子はやきもきしていた。これで水泳部に入ってくれなければ、真子は早々に退部しなければならない。水泳部の面々の心象にも悪いし、好きなことをできなくなるのは辛い。いくら友香を助けることが最優先とはいえ、水泳はやっていたい。
けれど、友香は体験入部に訪れた。さらに入部を決めてくれた。どうも友香は既に叶野先輩にあっていたらしく、叶野先輩を見て惚けていた。
「ねぇ、やっぱり好きな人いるんでしょ?」
何度か、わざと恍けて友香に尋ねてみた。その度に、悟られまいとして友香の表情が強張ったのが分かる。どこまで行っても分かりやすい子だった。
「何よ、しつこいなぁ。いないって言ってるでしょ」
「うっそだぁ。だって今日も叶野先輩見てたでしょ」
あんまり誤魔化すので、真子はついに一歩踏み入ってみた。少し入り込み過ぎたか、と思ったが、友香は息を詰まらせて黙った。その後も頬を染めて反論してこないとみると、こちらにバレているのには気づいていたようだ。
水泳部の中で関係がこじれても厄介なので、友香の分かりやすい行動をたしなめた後、真子は少し前に考案した計画を実施することにした。
「明日市民プール行かない? 久しぶりに泳ごうよ」
時間を遡る前に、叶野先輩が毎週練習のない土日に市民プールに行っていることは友香から聞いていた。当時はただ話の種でしかなかったが、今のところ接点のない叶野先輩と友香を結ぶには使えそうである。それはそれとして、練習ばかりに飽きて泳ぎたいのもあったが。
「いいよ、明日何時に集合する?」
友香は快諾してくれた。計画の最初のステップが成功し、ついでに泳げるとあって嬉しくなる。真子の顔に自然と輝いた。
その時、真子は友香の表情をしっかりと目にした。真子の反応に合わせて、友香は微笑んでいた。その微笑みが、真子の中の想いを揺さぶった。しばらく必死で思い出していなかった、友香の葬式の様子がフラッシュバックする。それと共に、あの時の望の顔も・・・・・・。
「うんっ、そしたら十時でいい?」
真子はわざと大きな声で返事をした。不自然かと思ったが、友香は真子がそれだけ興奮しているととったらしく、特に変わった反応は示さなかった。柔和に微笑んだまま、了解する友香。真子は絶対に勘付かれないように笑ったまま、友香を必ず助けると、改めて心に誓った。

――呆れるべきは、友香になのか、友香の性格を甘く見ていた自分になのか。真子は軽率な行動をした自分を少し後悔していた。
真子の計画通り、二人は叶野先輩と遭遇した。突然のことに硬直している友香をフォローし、あまり変なイメージを植え付けないよう細心の注意を払って先輩と話している最中、友香は唐突に先輩に勝負を申し込んだのだ。結果は惨敗、おまけに叶野先輩は確実に友香に対して、「変な後輩」というイメージを抱いただろう。これは良くない。
「普通さぁ、いきなり好きな人に勝負挑む?」
心底呆れながら、友香にそう言った。流石にこれは想定外だった。友香からは曖昧な返事しか返ってこず、何も考えずとった行動なのは明白だ。
これからの水泳部での行動を案じながら、それでも真子は友香に苛立ちをぶつけることはなかった。友香は意地っ張りで、ここで強く言っても喧嘩にしかならない。今はとにかく、友香と先輩をくっつけるしかない。

「濱中くん」
真子の動きは、以前よりずっとアグレッシブになっていた。友香の様子が安定し始めたところで、放課後、まだほとんど面識のない状況の望に声をかけた。
「え、えーと、峰川さんだよね? 同じ中学の」
「うん、そうだよ」
望の方は突然声を掛けられて動揺しているようだ。友香の死に落ち込んでいた自分を救ってくれた望とは似ても似つかぬ様に、思わず表情が緩んでしまう真子だった。
「あのね、濱中くんに相談したいことがあって。友香のことなんだけど」
「友香がどうかしたの?」
友香を出したことで、望の食いつきは俄然よくなった。自分でやっておいたなんだが、真子には少しショックだった。でも仕方ないことだ。だって、望にとって友香はとても大きな存在なんだから。
そんな物思いをおくびにも出さず、真子は微笑んだまま望を教室から連れ出した。人通りの少ない四階までのぼり、不安げな様子を見せる望に告げる。
「・・・・・・私は、未来から来たの」
「え、・・・・・・は?」
人の好い望でも、困惑の表情を浮かべた。そして徐々に眉間に皺が寄る。
「僕をからかってるの?」
「違うの。本当なの。こんなこと、望くんにしか言えないから」
「何を言ってるの? どういうこと?」
真子は一旦、息を吸って吐いた。突拍子もないことを言っている自覚はある。でも望にはこのことを伝えておきたい。真子ひとりでは限界がある。信用できるのは、望しかいない。
「友香は・・・・・・死ぬわ。このままだと」
「ちょ、え、待って、何?」
「私たちが三年生に上がった四月、交通事故に遭うの。あなたが、想いを友香に伝える前に」
途端、望の顔が真っ赤になった。先ほどから置いてきぼりを食らっている中、それだけは分かったらしい。熟れた林檎のような頬のまま、望は語気を強めた。
「な、なんなんだよ! 未来から来たっていうなら、何か未来のことを当ててみてよ!」
「あなたが、写真部に入部した理由」
「理由? それって友香に訊いたんじゃ・・・・・・?」
「泳いでいる友香の姿を映したいんだよね。未来のあなた、友香が死んだ後に言ってたよ。結局頼めなくて撮れなかったって言ってたけど」
望が、目をひん剥いている。誰にも話していないはずの本当の理由を知られている。しかも話したのは未来の自分。今の望にとっては十分なインパクトなはずだ。真子はそれを見越していた。
「な、なんで知って・・・・・・」
「だから未来のあなたに訊いたの」
言いながら、真子は罪悪感に苛まれ始めていた。どう考えたって、今の自分は悪者だ。望の気持ちを踏みにじり、望そのものを利用しようとしている。ちくちくと、胸が痛む。
「・・・・・・分かった、信じるよ。でも僕にどうしろって言うの?」
望の決意にはどこか悲壮なものがあった。真子はえずきそうになり、慌てて口許を手で覆った。そのさまが、友香を失った時の望を彷彿とさせたのだ。それだけ、今真子は望にひどいことをしている。
「ごめん。無茶苦茶だね、今の私。でもやらないと、友香が助けられないの」
「・・・・・・うん」
「具体的にどうこうっていうんじゃなくて、ただ友香のこと、気を付けてて欲しいの。一応三年の四月に起こると思うんだけど、変わるかもしれないし・・・・・・」
「分かった」
望の表情は暗かった。真子の気持ちも暗くなった。

「真子ってもしかして、望のこと好きなの?」
県の予選会が終わった後、帰り道の途上で友香が何の脈絡もなく尋ねてきた。友香は予選を通り見事県大会進出、一方で真子は予選落ちしていた。その真子は突然そんなことを訊かれて、ほんの少し動揺した。
「え、どうしたの急に?」
「やっぱり、そうなの?」
普段ならそんな動揺は表に出さない真子だったが、肉体的のも精神的にも疲れ切り、友香に勘付かれてしまった。
「あ、うう」
精神的には友香より三年も年上のはずなのに、恥ずかしくなってしまう。頬が熱を帯びてきた。
「そうなんだ。へぇ」
結局、友香に首肯した。以前なら何が何でも隠し通したところだが、今は意外とすんなり認めることができた。
「いつからなの?」
そう尋ねられて、真子は流石に嘘をついた。ここで昔から好きだったと言うと、友香に影響を与えかねない。最近からだと言えば、友香にとってはただの話の種だろう。
「こ、高校入ってから・・・・・・」
嘘をつこうとして噛んでしまったが、ただ恥ずかしがっているだけととられたようで友香はにやにやと笑うだけだった。友香に悟られないように息をつく。
「へー、そっか。いつも助けてもらってるし、応援するよ!」
「うん、ありがと」
感謝しながら、真子はひそかに辛くなっていた。望は、まだまだ友香を向いている。その友香が望を真子とくっつけようとしたら、望にとっては苦痛でしかないはずだ。もうあれ以上望を苦しめたくなかった。
「と、友香こそ、叶野先輩とはどうなの? 進展した?」
「い、いやそれがね――」
帰り道、真子と友香はずっと話し続けていた。

「望くん」
十月になり、文化祭が開催された。真子にとっては四回目、内容はほとんど変化なし。真子にとっては懐かしいばかりだ。
「ど、どうしたの、峰川さん?」
あの一件以来、真子はちょくちょく望に会いに行っている。対して望の方は真子に苦手意識を持ってしまっているようで、毎度微妙に引きつった顔を真子に向けていた。
「・・・・・・一緒に文化祭回ってくれないかなって」
いい加減真子も慣れるべきなんだろうが、仲良くなった過程がすべて吹っ飛び、こちらに悪い印象しか持っていない望を見るたびに、真子は寂しさと罪悪感でいっぱいになってしまう。特に文化祭は初めて望と二人きりになった場所だ。できることなら望と仲良くなりたいが・・・・・・。
望は引きつった顔のまま、じっと真子を見ていた。おそらくこちらの真意をはかっているのだろうと真子は感じた。その行為自体が、望の真子に対する心境を如実に表していた。
仕方ない、とはいえショックは隠せない。真子は目に見えて落胆しながら、ごめんと謝りその場を離れようとした。
「待って」
望から声がかかった。
「いいよ、一緒に回ろう」
「いいの?」
真子からすれば、想定外の反応だった。あれだけ嫌そうにしていたのに、どうして望は態度を翻したのか。
「む、無理しなくてもいいよ」
思った以上に声が震えてしまっていた。期待と不安が胸に去来する。望はありがたいことにかぶりを振った。
「無理じゃないよ。もう逃げない、って思っただけ」
意図が分からず首を傾げる真子。しかし望はそれ以上真子と話す気はないらしく、明後日の方向を向いてしまっていた。だがそれでも今の真子には十分で、まなじりから涙が溢れ出そうになった。
「あ、ありがとう!」

その夜、友香がとんちんかんな電話をかけてきた。
『どうしよう真子! 明日何着ていけばいいの!』
友香曰く、先輩と文化祭を回ることになり、どんな服を着ていけばいいのか分からないらしい。気持ちは分からなくもないが、真子にしてみればとても今更な話である。
「どうしようって、もう店しまってるから、今ある服を着てくしかないんじゃないかな?」
かく言う真子も、私服には苦労していた。今の自分と、高一の自分のセンスがマッチせず、着るのに抵抗があるのだ。かといって新しく何着も購入するほどのお金はない。仕方ないので、時々新しい服を買って我慢している状態だ。
とはいえ、一日だけなら着ていく服に困ることはない。今持っている中で一番気に入っているのを着ていくのだ。
『うー、そうなんだけど・・・・・・・。でもさ、なんかこう、スペシャルな感じに・・・・・・』
今友香がどんな服を持っているかなんて、真子はあまり把握していない。友香は来ている服の大半が制服かジャージで、特に最近は私服姿を見た覚えがない。そんな友香でも、好きな人の前ではいい恰好がしたいようだ。
内心少し面倒に思う真子だったが、友香の頼みだしむげに断れない。友香の持っている洋服を丁寧に訊き、場合によっては携帯で写真を送ってもらいながら、全力で組み合わせを考えた。途中何度、どうせ叶野先輩はジャージなんだろうから、ジャージでいいんじゃないかと思ったか数えられない真子であった。

「ごめん、待たせたかな」
お昼過ぎ、真子は望と落ち合った。友香と叶野先輩のカップルに鉢合わせないよう、集合は真子のクラスにしてもらった。
「ううん、全然。・・・・・・その、ありがとね」
「いや、お礼なんか要らないよ。その代わり、話してもらうから。君のこと」
落ち着いてはいるが低い望の声に、真子の頭の中に疑問符が浮かぶ。その疑問を投げかける前に、望は言葉を続けた。
「峰川さん。友香は僕にとって、大切なんだ」
「だから、絶対に助けたい」
「そのために、僕は君を利用するよ」
「君の知ってること、全部話して」
望から、それまでの頼りなさが消えていた。
真子は落ち込んでいた自分を助けてくれた望を思い出していた。あの時の強い望が、目の前にいる。それだけで真子は感涙にむせびたくなり、ついに堪えきれず涙があふれ始めた。
「え、峰川さんっ?」
「ち、違うの。だ、だって、嬉し、嬉しくて・・・・・・」
しゃくり上げる真子。どうにか涙を止めようと思うのに、止めようとすればするほど、雫は頬を伝っていく。幸いクラスには誰もいないから人目をはばかる必要はない。真子は諦めて、泣けるだけ泣くことにした。真子が過去に遡ってから、もうじき一年。初めて真子は人前で盛大に涙した。
「ごめん、ごめんね、迷惑、ばっか、かけて」
「え、いや、その、うん」
突然堰を切ったように泣き続ける真子に対応しあぐねている望は、生返事で返した。ちらちらと辺りを気にして、望はとりあえず真子を近くにあった席に座らせた。
「ごめん、もう大丈夫」
「そう、よく分からないけど良かったよ」
すっかり気勢を削がれてしまった望は、少し棒読み気味に返してきた。せっかく格好良かったのに、文字通り水を差してしまい心の底から申し訳なく思う真子である。
それはさておき、真子は泣きはらした眼で望に問いかけた。
「私が知ってることだよね? どんなことを話せばいいかな?」
「特に友香のことだよ。三年に上がった四月に交通事故ってだけしか聞いてないんだ」
あまり事前知識を与えてしまうと、真子にとっての過去との開きが大きくなってしまうと考えたのだ。本当なら教えるべきじゃないのかもしれないが、真子は望に素直に従うことにした。
「私もその場に居合わせてないから詳しくは分からないんだけど、友香の通学路上にスーパーあるよね? あそこの裏手の交差点の信号で帰宅途中に・・・・・・ってことみたい」
「あそこか。でもあそこってそんなに危険な印象ないよ?」
「だから友香も油断したんじゃないかな。信号無視したトラックに轢かれて・・・・・・」
頭の中に死に装束の友香がよみがえって、少しだけ気持ち悪くなる。しかしもうあれから体感的には二年近く経っている。流石に戻すまでには至らない。
「そっか・・・・・・。じゃあできるだけ友香と一緒に帰った方がいいのかな?」
「できればそうだけど、望くんできる? 部活があるうちはほとんど私一緒だから大丈夫だよ?」
それは物理的な面もあったし、望の精神的な面もあった。水泳部の練習は、プールが開いている間は遅くまである。週に二、三日、それも夕方までの写真部とでは下校時刻に差が開きすぎている。
加えて、望は積極的に友香に近づこうとはしていなかった。いきなりそうなるのは、望友香双方に影響を与えるだろう。望もそのことを分かっているのか、眉をひそめた。
「それもそうだけど、でも必要になったらやるよ」
「うん、ありがと」
望の協力的な態度が、こんなに嬉しいものだとは思わなかった。真子はとびきりの笑顔を望に向ける。友香曰く、こういうときの真子は可愛いんだそうだ。
「その、それで他にも何かないかな? 友香の事故についての情報」
「うーん、さっきも言ったけど私その場に居合わせてないから・・・・・・。それに実は学校も違ったの」
そう言うと、望は妙に納得したようだった。真子が首をひねると、
「もしかして、峰川さんって中三の十一月ごろに過去に戻ってきたの?」
「え? そうだけど、どうして分かったの?」
全く予想外の推察にびっくりし、真子はじっと望を覗き込んだ。対する望は平然としたもので、だってさと続けた。
「友香が言っていたんだ。峰川さん、去年の十一月に急に志望校をここに変えたんだよね。もっと上の私立校目指してたのに」
望の洞察は見事的中している。
「確かにそうなんだけど・・・・・・。あれ、でもそんなこといつ聞いたの?」
すると、望は少し困ったような顔をした。
「それが、最近友香が会うたびに君の話をするんだ。なんでだろうね」
「あー」
なるほど、原因はどうやら友香のお節介だったようだ。友香の恋路にあれこれ口出ししている真子の言えた義理ではないが、こっちはこっちで勝手にやっているので、友香は自分の恋に専念して欲しい、と思う真子だった。
追及されるかな、と身構えたが、望はそれ以上何も言わなかった。逸れていた話を元に戻すと、望はそれきり深く考え始めた。
「うーん。今ここでどうするべきか思いつかないな・・・・・・」
「そ、それじゃあ、メアド交換しない? たまに会いに来るけど、やっぱりもっと頻繁に連絡取りたいし」
あの時と比べて、なんだか言い訳がましい自分が嫌になる。実のところ、望のメアド自体は暗記していたが、当然ながらメールすることは出来なかった。
「メアド? ああ、いいよ」
あの時とおんなじ言葉だった。真子は自然と嬉しくなって、急いで携帯を取り出そうとして取り落してしまった。

結局、望と文化祭を回ることはしなかったが、それでも真子は十分すぎるほど幸せだった。険悪だった望との関係も改善されたし、友香を救うのを積極的に手伝ってくれるのはとても嬉しい。何せ、もう時間を遡れる保証はないのだから、絶対に失敗できない。
『今日ね、叶野先輩の好きな人と会ったよ』
友香の方も、大分進展しているようだった。ついに叶野先輩の恋愛事情も把握したらしい。不謹慎かもしれないが、友香にとってはラッキーだったようだ。
なんとも言えない声音を電話越しに伝えてくる友香は、真子の明るい声色に気付いたらしい。
『望と何か進展あったの?』
言おうかどうか迷ったが、友香の方も報告しているのだし、こちらも言うのが筋だろうと、真子は詳しい内容は伏せて、メアドを交換したことを話した。
『ホント? 良かったじゃん』
「うん!」
我ながら、自分が思った以上に浮かれていることに驚いた。やっぱり自分は、どうあがいても望のことが好きなんだと、改めて自覚する。
「それで、友香の方はどうするの? 告白とかはするの?」
『今はまだ早いなぁと思ってるんだけど、いつするとかは決めてないよ』
その判断は間違っていないと真子は思う。聞いている限り、先輩はまだ失恋を引きずっているようだし、今友香の想いを伝えられても、真剣には受け止められないはずだ。失恋が癒えた頃が狙い目、真子はそう進言した。電話越しで、迷うような素振りが感じられる。
『なんかそれ、弱みに付け込むみたいでいや』
「じゃあそれまでに、先輩を振り向かせた方がいいよ。失恋が癒えた頃に、友香以外の人を好きになられたら、今度こそ先輩とは無理だと思う」
あの好青年に好かれて嫌がる人はそういない。今回の人は元々付き合っている人がいたから断っただけで、フリーだったらとりあえず受け入れていたかもしれない。そうなればまた先輩が失恋するのをまたなければならないし、そんなに待てるかと尋ねられたら、友香はおそらくノーだ。
『でも』
「先輩と付き合いたいんでしょ? 真正面からぶつかるだけじゃ、ダメだよ」
これじゃまるで私が計算尽くみたいで嫌だなぁ、と友香にばれないようひっそりとため息をつく真子であった。

最終更新:2014年03月17日 19:35