夏の道(お題「夏祭り」)

2013年08月20日(火) 23:28-斉藤羊

どこから鳴っているのか祭囃子が響く。もう外は薄暗いが、神社のなかだけがぼうっと明るく浮きあがている。目の前をたくさんの人たちが通り過ぎていくが、そこに仁良の思い描いている人はいない。仁良は浴衣の首もとをすっと引いて正した。慣れない服は変に気張ってしまうからあまり好きではない。通り過ぎていく人たちはみな楽しそうで、仁良はついため息をついた。時計を確認すると19時20分。約束の時間からもうすぐ1時間がたとうとしていた。
仁良は祭りがあまり好きではない。小さい時は祭りには何か恐ろしいものがいると思い込んでいた。今はそんなことは思っていないが、小さい時に感じた恐怖というものはなかなか抜けない。ふとした瞬間に、思い出しては足がすくむ。何とはなしに、仁良は自身の右手を顔の輪郭に沿わせた。それは不安なときの仁良の癖だ。
待ち合わせをしていたのは幼馴染だった。そいつは祭りに行こうと時間を指定し、仁良を誘った。昨日のことだ。幼馴染の唐突さと横暴さはいつものことだ。そして彼はよく自分で言った予定を反故にした。それすらもいつものことだと流してしまえるほどに、彼とは長い付き合いだった。いや、それだけではないかもしれない。彼が来るときはいつも、約束の時間の5分前には着いて、時間通りにきた仁良に遅いぞというのだ。
仁良は目の前を進む人々の流れに身をすべり込ませた。おいしそうな屋台ものの匂いがするも、あまり食べたいと思わない。おなかはすいているはずなのに、何か食べようという気にはならなかった。祭囃子が遠くから聞こえた。五感全てが遠ざかるような感じがした。
ふと気がつくと、見知らぬところに来ていた。おかしい、家の目と鼻の先にある神社は、昔からなんども来ている。それなのにまだ見たことがないところがあったのか、と不思議に思った。視界は狭いが、祭囃子は先ほどより近くから聞こえてくるようだった。
周りの人を見ると、皆一様にお面のようなものをかぶっていた。お面と言っても、猫やキツネといった動物を模したものや老若男女さまざまな人の顔など、そこに一貫性はない。あるとすれば、皆顔が見えないという点だけか。何とはなしに自身の顔を触れようとすると、手に紙のようなものが当たった。紙は顔全体を覆っているようだ。
仁良の顔を覆っている紙は、ざらざらとしているが一定の厚みがあってどこか暖かい。触れているとどうしてか安心した。仁良はその紙を取ろうと思ったが、途中で気が変わってそのまま紙を触り続けた。別にあって困るものではないし、外す理由もない。仁良は顔に紙を張り付けたまま歩き続ける。
つま先に何か当たったような感触がした。そう思った時にはもう遅く、あっ、と声が出ると同時に仁良は前につんのめる。ふわりと紙は浮いて、仁良の顔を露わにした。紙はそのままどこかへ
周りを歩く人が一斉にこちらを見た。ひそやかな声で何かしらの言葉が呟かれるが、その内容は仁良には聞こえない。

これはなんとまあ…珍し…いや余興かも…舞殿へと…

あっと思った時にはすでに、お面を被った人に取り囲まれていた。面の向こう見えるはずの眼は、すべて黒く塗りつぶされたように見えた。仁良の周りを取り囲んだ人々は、徐々にその輪を狭めてあっという間に仁良を担ぎ上げた。手を懸命に動かすも、多勢に無勢、どう考えても落としてくれそうにない。なお悪いことに、着慣れない浴衣の袖が動きを制限した。
人々は仁良をどこかへと運んでいるようだった。まっすぐ進む先にあるのは、古い作りの舞殿だ。この祭りの嘘くささの中では、舞殿はどこか異様だった。現実味がありすぎるのだ。遠くにあるのに、嫌にはっきりと木目や傷が見える。それはわかりやすく身を持っているように見えた。
そうこうしているうちにどんどん舞殿へと近づいていく。そっちへ行ってはいけない、頭の中の何かが警笛を鳴らす。
そのとき手を引かれた。ぬっと人の波から出てきた腕は仁良の手を引いて、もう片方の手で顔を覆った。先ほど剥がれ落ちた紙が、顔を覆う。途端に目の前の人々の目が見るものを失ったように宙をさまよった。

人だかりを抜けてた後で、つかまれた手の先を見ると、やはりその人も仮面をかぶっていた。眉尻下がりの人の顔。困っているようにも笑っているようにも見える不思議な表情だった。
彼は紺の浴衣を着ていた。その生地には竹にすすきが浮かんでいた。仁良はその背筋の良さに目を奪われながらつぶやく。
「あの、助けてくださってありがとうございます、あの、ここは」
「どこかだよ」
「どこかって」
「知ったら戻れない」
「戻れない?」
「あくまで、ここは知らない場所じゃなければいけないんだ」
「はあ」
よくわからず首をかしげた仁良は、彼の声に何故か落ち着きを覚えていた。理由なんてないが、ないからこそ信じられる気もする。変な話だが、仁良はとっさに、この人についていけば平気だという謎の自信を持っていた。
「ここに来てからなにも口にしてはないね?」
いつの間にか耳元に口を寄せられていて、仁良は急いで首を振った。何故か先ほどまで身を潜めていた空腹が顔を出す。男は身を引いていった。彼の細身の体には妙に浴衣が似合った。
「いいかい、ここのものは口にしてはいけないよ。絶対だ」
「なんで」
「それも無し」
そういってちらりと笑うと、仮面の下の素顔が下から見えた。それはどこかで見たことがある顔で。しかし仁良にはどこで見たのか思い出せなかった。
ふと言葉が口をつく。
「お兄さん、」
「ここをまっすぐ行けば元の場所に戻れる」
男は、なにも言ってはいけないとでも言うように声を遮った。
「絶対に振り向いてはいけないよ」
「お兄さんも行こう」
「……さあ前を向いて」
行くんだ、そういわれると同時に、仁良は強く背中を押された。がくんと足が崩れ落ちそうになる。周りが一瞬で崩れて、あたりは真っ暗になった。
走って、という男の声が耳元でした気がして、仁良は無我夢中で足を動かした。慣れない下駄を履いた足がじくじくと痛む。後ろから何かがうめくような声が聞こえてくる気がして、恐ろしかった。
走っているうちに、壁の塗装がぽろぽろと剥がれ落ちるように思い出した。さっきの男のことだ。
あの男は、昔彼の家の近くに住んでいた。大きく古いお屋敷に住む次男坊。幼い頃、よく遊んでくれていたのだ。なぜそんなことを忘れていたのだろうか。仁良は唇をかんだ。
男は彼が小さい頃に首を吊って亡くなった。理由は誰にもわからなかった。遺書はどこにも見つからなかった。
遠くに懐かしい淡い明かりが見えて、仁良は無我夢中で足を動かした。着崩れた浴衣が足にまとわりついて、肺がせりあがる様な感じがした。口の中が血の味だった。

境内に全速力で駆けてくる仁良に周りの者は不審の目を向ける。仁良は逃げるように一度止めた足をゆっくりと進めた。生ぬるい風が彼を包む。変な場所に迷い込んでからもう何時間も前のような気がした。
「話はできたか?」
突然強く肩を引かれる。驚いて後ろを向くと、幼馴染の顔がすぐ近くに迫っていた。仁良は驚いて幼馴染を強く押し返し、動揺を隠しながら言った。
「……なんでいるんだよ」
「約束したろ」
「……何時間も待たせたくせに」
「1時間とちょっとだろ」
ほら、と向けられた腕時計を見ると、先ほど見た時から30分もたっていなかった。あの不思議なところに迷い込んでそれだけしかたっていないのかと思った。その動揺を悟ったのか、幼馴染は口を弧に曲げて意地悪そうに笑った。
「で、会えたか?」
「誰とだよ」
「小さい頃好きだったものな、お前」
「……だから、誰と」
幼馴染はちらりとこちらを見やり、わかってんだろ?とでも言うように口角を上げる。仁良は昔からこの笑い方に弱かった。なんだかんだ言って最後にはすべて許してしまうのだ。
「いいからお祭り回ろうぜ」
「…まあそうだな」
仁良はあきらめたように笑った。

 

最終更新:2014年03月17日 19:41