わたしといとこ・星空 BEFORE HOCHZEIT

2013年12月18日(水) 15:46-鈴生れい

注:「わたしといとこ」シリーズの短編です。先に本編を読むことをお勧めします。
本編はわたしのブログで読めます。URLのリンク先からどうぞ。


ほんのちょっと、勇気が足りない。そう気づいたのはいつだっただろう。いざ本当にそれを自覚したのは、篠山という名字を捨てなければならないと思い至った時か。でも本当はずっと前から、不安に思っていたような気がする。
星と付き合いだしたのは大学二年生の秋だったから、もうあれから二年と半年が過ぎた。わたしは大学での生活を終え、自らの故郷へと帰ってきた。星はわたしが卒業するのをずっと待っていた。片道に何時間とかかるくせに、わたしの部屋まで遊びに来たこともあった。わたしだって、嫌な気分はしなかった。付き合いたての頃は漠然としていた想いも、星から向けられる明確な好意によって確かなものへと変わっていった。こんなこと面と向かって言えないが、もう星以外とはやっていけないとだって思っている。
ただ、ほんの少しだけ。

星と知り合ったのは小学校でのことだ。その時のことを詳しく覚えているわけではない。ガキ大将、あるいはエロ餓鬼という評価が相応しい男の子だった。クラスメイトの女子からは大抵嫌われ者だったし、彼自身も女の子と積極的に関わろうとはしなかった。たった一人、わたしを除いて。
星との出会いは、わたしの置かれた立場に起因しているのは否定できない。双子の弟である大地と同時に入学したわたしは、男兄弟の中で育った影響なのか、おままごとやお人形遊びといった女の子の遊びよりもチャンバラや鬼ごっこなどの男の子の遊びを好んだ。ただでさえ小学校の間は男子よりも女子の方が力強い関係上、わたしはクラスの誰よりも強かった。特にチャンバラでは多対一だろうと負けることはなかった。そういう面では、わたしもガキ大将だったのかもしれない。わたしは女子コミュニティに入ることなく、男子たちの上に立ち続けた。
その二人が出会うのは必然だったのかもしれない。違うクラスのガキ大将同士、競い合うことになるのは避けられなかった。かけっこで競い、鬼ごっこで競い、かくれんぼで競い、そしてチャンバラで競った。一進一退とはこのことで、互いに勝ったり負けたり――大抵負けた方が取っ組み合いの喧嘩を吹っかけるのだがそれはさておき――延々と競い合う中で、仲良くなった。
わたしとしては、星はかなり仲が良いとはいえただの友達に過ぎなかった。でも星にとってはそうではなかったらしい。付き合ってから聞いた話だが、星はわたしのことを早くから意識していたようだ。自分を負かした女子、自分と仲の良い唯一の女子。イレギュラーなわたしの存在は、星にとって大きなものとなっていたそうだ。
高校まで一緒のところに進学したが、大学がこの場所にない関係上、進学したければ外へ出るしかなかった。わたしは家業を継ぎたくない一心で大学への進学を決めた。一方で星は途中まで進学すると言っていたのだが、結局家業である酒屋を継ぐことになった。そしてわたしと星は離れ離れになった。

ちょっと市街地を抜ければすぐに街灯もまばらになり、澄んだ星空が見える。ここ最近、考え事をするときにはよくこの場所へ来るようになっていた。腰かけて、近くを流れる川のせせらぎに耳を傾ける。それだけで抱えていた不安もそそがれていくような気がした。
見上げれば、天球に散りばめられた星々が輝いている。それはまるで星の瞳のようだなんて、臭すぎるだろうか。
故郷に戻ってから、わたしは星の実家である桐生酒店に通うようになった。あらかじめ大学で学んでおいた簿記の知識を使いながら、星のご両親に経営を学んでいる。悪い気はしなかったし、陽気なご両親に支えられてとても楽しい。力仕事もできるから、酒瓶の運搬や整理などもお手の物だ。
それでも、何故だろう。
帰ってきて早々、星はわたしに言った。わたし自身、それを拒否はしなかった。今でもそれを後悔なんてしていない。だけど、この胸をよぎる漠然とした不安はなんだろう。
「空」
わたしを呼ぶ声に振り向けば、川を挟んで向こう側に星がいた。おそらくわたしを家に送り届けようと探していたのだろう。息が切れているのが遠くからでも分かった。
星の顔が明るく輝く。ここからじゃ見えないが、きっとその瞳もこの夜空のように輝いているんだと思う。星の好意はどこまでも真っ直ぐで、一点の曇りもない。最初は戸惑ったけど、いつの間にかそれが当たり前になっていた。なくてはならないものになっていた。
小さな橋を渡って、星はわたしの隣に腰かけた。
「ここにいたのか、探したんだぜ」
「・・・・・・悪いな」
寄せ合った肩からほんのりと星の熱が伝わってくる。もうそのことにドキドキすることもなくなった。その温かさに体を預ける。
「どうかしたのか、空?」
星が人の気持ちに鈍くないと気付いたのは付き合いだしてからだった気がする。時々驚くぐらい的確にわたしの気持ちを分かってくれる。今だって、星は身を寄せたわたしの肩を片手で抱いてくれた。心の中で何かが溶けていく。
「隠し事はなしにしようぜ。空も綺麗だしさ」
慣れたといっても、不意打ちに慣れたわけじゃない。頬に熱が集まるのが感じ取れてしまう。綺麗だとか可愛いだとか、わたしに向けてそんな言葉を臆面もなく言うのは星だけだ。だからこそ、不意に星の言葉がわたしの胸を突き刺してくる。わたしの中で、何かが溢れそうになる。
「・・・・・・星は、なんで大学に進学しなかったんだ?」
脈絡なく聞いているのはわたしにも分かっている。首を傾げられるかと思ったが、星の反応は違った。それどころか、普段では滅多に見せないような表情が浮かんでいる。
「言ってもいいけど、引くなよ?」
星の頬が少し紅潮している。告白してきたときだってこんなに赤くなったことはなかったように思う。実際のところどうだったのかは、当時のわたしの心境を察するに定かではないのだけど。
それよりも、引くとはなんなのだろう。余程変な理由なのだろうか。あるいは当人にとって恥ずかしい理由なのかもしれない。とすると、例えば学力が足りなかったとか、大学に行きたくなかったという理由ではなさそうだ。もっと一般的じゃない、かつわたしに言うと引かれる恐れがある理由。それも明日夫婦になろうというわたしにすら引かれるぐらい変な理由・・・・・・。
「・・・・・・なんとなく分かった」
「・・・・・・さすが、空だな」
もしこのことを、二年前のわたしが聞いたとしたらドン引きでは済まなかっただろう。高校三年生のとき、わたしたちの間には恋愛のれの字もなかった。その認識は星に告白されるまでわたしの中で変わることはなかったし、星が大学に進学しなかった理由がまさかわたしに関係しているとは夢にも思わなかったからだ。
「引いてない?」
黙ってしまったわたしに星が恐る恐ると声をかけてきた。いつもどこか自信があってマイペースな星からは想像もできない表情だ。きっとそんな顔を知っているのは・・・・・・。
「引いてないよ。多分な」
「多分かよ! 不安だなぁ全くもう」
そっぽを向いてしまった星に向けて、わたしは質問を続けた。我ながら酷だ、とは思う。思うだけ。
「それで、星は後悔しなかったのか? わたしが星の想いに応えるなんて決まってなかったのに」
星は星ですぐにこちらを向き直して答えた。立ち直りが早いのも星の取り柄と言えるだろうか。
「え、いやまぁ、ないっていやぁ嘘になるけどよ。でもほとんど後悔してないぜ。だって、今隣に空がいるしな」
「そっか」
きっと星の中には何かしら確信めいたものがあったのかもしれない。でなければ、そんな大きな判断を不確定なものを根拠にできるわけがない。星のことだから、根拠もなく自信を持っていたのかもしれないけど。
今のわたしにも、根拠はない。この選択がベストなものか、あるいはベターですらありはしないのか。より良い選択が目の前にあって、わたしはそれから目を背けているだけなのかもしれない。
だけど。
「空は、何か後悔してるのか?」
あの漠然とした不安は、きっとなんでもない。星と一緒にいることで、もうすっかり消えている。星が隣にいれば、この選択がベストなものだって、胸を張って言い切れる。後悔なんて、欠片もない。
夜空が綺麗なのは星々が瞬くから。星々が輝けるのは、夜空があるから。
わたしが星の瞳を覗き込むと、その中に満天の星空が見える。その目を、星はそっと閉じた。やっぱり、星は敏い。
「――ん」
重ね合わせていると、わたしの中でそっと何かが生まれた気がした。それはきっとりんごのような、甘くて愛おしい果実。


――die Hochzeit:結婚式(三修社 アクセス独和辞典より)

 

 


甘い小説を書きたかった。

3か国語タイトルって締まり悪いですが、仕方ないんです。「星空の結婚前夜」よりいいかなと。
個人的に「die Hochzeit」という単語が印象的なので使いました。ドイツ語で結婚式という単語ですが、「hoch」には高い、「zeit」には時間という意味があります。それが語源なのかは調べていませんが、それっぽさが出ていていいかなと。

時系列的には「わたしといとこ」本編から2年半後の春、後日譚の2年ほど前です。

最終更新:2014年03月17日 19:54