ひとりきりのイヴ

2013年12月28日(土) 00:32-斉藤羊


その古ぼけた倉庫は学校の隅にあった。
「内緒だよ」
大好きなあの子はそう言って、手をつかんで連れてきてくれた。
「この中のものはね、全部私が作ったの」
ほんのすこしだけ表情を崩してあの子は倉庫のカギを開ける。とても大切な宝箱を触るような手つきで、鍵を確認してから倉庫の扉を少し開ける。
扉の向こうは別世界だった。見たことのないかたちの植物がいっぱい生えて、その間を縫うようにこれもまた見たことのない動物や虫が走ったり飛んだりしている。少しウサギや蝶に似てるかな、そう思うものもあれば、三角定規のようにかたくて透明なものでできた虫のようなものもいる。それらはどうして動いているのかかけらもわからなくて、まるでおもちゃ箱みたいだった。動くおもちゃ箱だ。目がその中のものしか見えないみたいに、動けなくなった。
「あなたは私の大好きな人だから、すこしだけ見ててもいいよ」
「うん」
「すこしだけだからね」
となりにいた大好きなあの子は、それだけ言うと細く開いた扉を器用に通り過ぎてそのおもちゃ箱の中に身を躍らせた。あの子はまさしく踊っていたのだ。くるりとスカートを揺らめかせながら細い足を動かすあの子は、こっちにいたときよりもずっと自由に体を動かしていた。こっちにいたのが間違いで、あっちにいたのが正しいとでも言うかのように。
自分のランドセルを遠くから見えないように草むらに隠す。
大切な人だから見てもいいんだ、そうは言われたが、それでも入っていいとは言われないんだ。だれも入ってはいけない、あの子の倉庫。
倉庫の中を覗いて大好きなあの子とあの子の作った世界を見る。二つがそろって初めてすべてが進むとでもいうような完璧さがそこにはあった。どこかでみた、綺麗な女の人の横顔とあの子の穏やかに笑う表情が重なる。教室では絶対に見られない柔らかい笑顔を見るとため息が出て、ああきれいだな、そう思う。教室であの子が笑ったことを見たことは、一度もない。大好きなあの子のきれいな笑顔が自分に向けられることはない。
その世界の中で、あの子はどうしようもなくイブだった。はじまりの人、その本人。そして同時に、はじまりの二人になることはかなわない。そういわれたように感じて、手と口先が震えた。
だったらせめて、あの子がこちら側に来たっていいんじゃないか。そう思った瞬間に体が動いた。
初めて自分から握ったあの子の手は白くてちいさくてなんだかふわふわとしていて、自分のものと全然違っていた。同じものとは思えないことに感動する。
あの子は昨日見たお月様みたいに目を丸くして見ていた。何が起こったかわからない、そんな顔だ。さっき感じた感動がすぐに冷えていくのがわかった。
「だめ!」
彼女のナイフみたいな声が響くのと、地面が泥のようになって足が埋まっていくことに気づいたのは同時だった。
保健の時間に見た、白血球がいらないものを取り囲んで一緒に死んでいくようすのように、自分というウイルスを取り囲むように世界はどろどろと溶けていく。世界は輪郭を失っていく。
「ここはだめなの」
どこかで大好きなあの子の声が聞こえたが、くぐもっていてよくわからない。視界の端で妙に変な表情をしたあの子がこちらをじっと見つめていた。
何もわからなくなっていく中で思い出したのは、あの子を初めて見た時のことだった、
本当はこの倉庫の場所も何もかもを知っていた。だってあの子を初めて見たのは、この倉庫に入るところだったからだ。掃除当番の最中だった。あの幸せそうなあの子を見た時、もうどうしようもないと思った。ただあの子にあの時に見た優しい顔で、こちらを見てほしかっただけなのに。
そう思いながら、意識は薄れていった。


目を覚ますと倉庫もあの子もどこにも見えなかった。もしかしたらどこかに行っただけかもしれない、そう思い込もうとしたけど、本当はわかっていた。あの子はもうどこにもいないことを、。
もういないあの子のことを思うと、胸がどうしようもなく苦しくなった。私はあの子に恋をしていたんだ。
自分の赤いランドセルを抱きしめたまま声を殺して泣いた。

 

 


お題「倉庫」で書いたものでした。
件名にお題を入れ忘れた…。

最終更新:2014年03月17日 19:55