※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

忙しい人のためのすぐわかる結論

「金精軒の『信玄餅』は桔梗屋の『桔梗信玄餅』発売の後に発売されている。」


もしかしたら知らない方も多くいるかもしれませんが、信玄餅と呼ばれているものが二種類あります。
金精軒桔梗屋のもの。多くの方が信玄餅として認識しているものは桔梗屋のものではないでしょうか。

インターネット上で確認すると、「信玄餅という登録商標は金精軒がもっている。だから金精軒のものが元祖だ」ということをよく目にします。
しかし、山梨に住んでいる祖父や年配の方々に聞くと「桔梗屋の信玄餅のほうが古い」といいます。
どういうことでしょうか?

確かに『信玄餅』という商標をもっているのは金精軒です。 こちらで検索できます。(商標出願・登録情報
しかし、販売規模をみると圧倒的に桔梗屋のほうが勝っています。「桔梗屋は宣伝がうまかったから」という意見もありますが、それだけでは説明できないことです。

「世間では信玄餅として知られているものなのに、なぜ『信玄餅』という登録商標のない桔梗屋のほうが売れているのか?」

結論でもう述べていますが桔梗屋のものがオリジナルであるとわかってからこの記事を書いています。ですが、ちゃんと資料をもとにしていますので偏ったものではないです。



金精軒の信玄餅発売が昭和47年8月


金精軒の信玄餅の発売時期についてネット上で見ても正式なものはわからない、というか探してもなかった、ので、発売時期と思われる年代の地元新聞を調べました。
※著作権の関係上、資料の転載はできません。参照したい方は図書館などで閲覧してください。2023年には著作権が切れます。


『昭和47年(1972年)7月31日月曜日の山梨日日新聞2版の下部広告欄』
信玄餅 販売始めました。                発売元(ロゴマーク)金精軒


金精軒が信玄餅を昭和47年(1972年)8月1日から発売するという内容です。

桔梗屋の桔梗信玄餅発売についてはネット上で確認すると昭和43年(1968年)になってますが、それだけでは信憑性が薄いので、やはり調べました。

昭和43〜45年までは残念ながらはっきりと発売日がわかるものがありませんでした。
新聞ではっきりと広告に出てくるのは『昭和46年(1971年)4月1日木曜日の山梨日日新聞全面広告)』なので昭和46年(1971年)より前。
この時点で既に金精軒の「信玄餅」発売の昭和47年(1972年)より前なので、一行目の結論に至ります。
桔梗屋の発売日についてははっきりとしたものがわかったら付け加えます。

さて、これらの資料が出てきた時点で『なぜ桔梗屋のほうが売れているのか=販売エリアが広いのか』という謎はほぼクリアしてしまったのですが、まだ商標の謎が残っています。

なんで桔梗屋が先に「信玄餅」を発売したのに金精軒が商標をとれたのか。
桔梗屋が「信玄餅」で売り出していたものを名称変更せざるをえなかったのか。



当初桔梗屋は「信玄餅」という商品名で発売開始、しかし金精軒が「信玄最中」という商標を持っていたので「信玄餅」という商品名が使えず改名「桔梗信玄餅」になる。

その後金精軒が「信玄餅」という商標を取得して類似品を発売した。


このあたりの当時の動きがわかるものはやはり新聞です。
あ、わざわざ古い資料を調べてこの記事を書いているのは両社にヒアリングしても、確証がもてないからです。
嘘つかれても困りますし、物証があるものが確実なので。

昭和46年(1971年)4月1日木曜日の山梨日日新聞全面広告
※著作権の関係上、資料の転載はできません。参照したい方は図書館などで閲覧してください。2022年には著作権が切れます。
第25回甲府観光桜まつり協賛 戦国そのままに甲州軍団出陣
信玄公まつり
(左上二段目)おみやげに味で一番 信玄もなか 柳町金精軒
(右上一段目)古い伝統に現代のフィーリングがマッチした新しいお菓子 日本中に話題をまいた新しいみやげ 桔梗信玄餅 ききょうや本社

『昭和47年(1972年)3月31日月曜日の山梨日日新聞2版 企業と人サンニチ創刊100年記念シリーズ』
※著作権の関係上、資料の転載はできません。参照したい方は図書館などで閲覧してください。2023年には著作権が切れます。
「信玄餅から桔梗信玄餅と商標を変え〜」


ここで出てくる柳町金精軒は先に出てきた広告の信玄餅発売元の金精軒と同じところです。
広告ででている電話番号が一緒だったので確認できました。

ここで2点注目したいところがあります。
  1. 1972年では信玄餅の発売元である金精軒(柳町金精軒)が1971年では信玄最中という商品を販売。
  2. 先ほどの信玄餅の商標でわかりますが、出願日が昭和46年(1971)4月13日。この第25回信玄公祭りの広告がでたあと、12日後。 

そして金精軒の「信玄餅」発売が昭和47年(1972年)であることから一つの結論を導き出せます。

つまり 「金精軒が似たような商標(信玄最中)を持っていたため桔梗屋は『信玄餅』という商標を取得できなかった」 ということ。
この辺は裁判にもなったみたいですが、和解が成立して現在に至るようです。
事件番号などがわからないので、詳細まではわかりません。


これらの結論をまとめるとこうなります。

金精軒は「信玄最中」という商品を売り出す。
桔梗屋が「信玄餅」という似たような名前の菓子を販売。
「信玄餅」は武田信玄ブームとともにヒット。そこで金精軒は商標の侵害だと裁判を起こす。
その後桔梗屋は「桔梗信玄餅」と名前を変え販売。金精軒は「信玄餅」という商標を取得。
「桔梗信玄餅」の類似商品である「信玄餅」を販売する。


まとめ

いろいろ調べましたが、「商標を持ってるから金精軒が元祖だ」という意見が多かったです。
普通はそう判断してしまうでしょう。なかなか調べようとまでは思わないと思います。

たぶん、インターネットで調べたらみんなそういってるからそう思った、ってパターンが一番多いと思いますがもともとの情報源はなにか、ってことをしっかり調べたほうがいいと思います。
ほとんどの記事が「金精軒は登録商標を持っている」とだけしか言っていません。

風説に流されるのが悪いとまでは言いませんが、情報はちゃんと分析したほうがいいと思います。
この記事を残しておきます。あとは興味を持った人、この話を確認したい人が再度調べてくれるのを願います。